福井県小浜市 羽賀寺
Hagaji,Obama city,Fukui
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January 8,2022 大野木康夫
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参道
本堂(重要文化財)
部分撮影
August 10, 2019 野崎順次 source movie
福井県小浜市羽賀82-2
真言宗高野山派
鳳聚山 羽賀寺
鳳凰が飛来し、この地に羽根を落としたという典雅な伝説が寺名の由来。霊亀2年(716)に、女帝・元正天皇の勅命により行基が創建したと伝えられています。数ある寺宝の中でも平安初期の木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)は必見。元正天皇の御影といわれ、その尊顔は心のやすらぎを覚える柔和さです。
国重文 木造十一面観音菩薩立像 平安前期 像高146.4㎝
ヒノキ材の一木造で10世紀作と主和手、寺伝では勅願の御施主・女帝元正天皇の御影としています。当初の色彩が極めてよく残っており、肉身部は黄白肉色、宝冠は代赭(たいしゃ)色、眉や眼は墨描、天衣には朱や緑が使用されています。また、右手が非常に長く、その長さが膝までに達する様子は、9世紀半ば頃の貞観彫刻の例をならったものと推測されています。
国重文 木造千手観音菩薩立像 平安後期 像高135.4㎝
国重文 木造毘沙門天立像 平安後期 像高159.1㎝
(若狭おばま観光協会「ええやん!若狭の國」より)
パンフレットと現地説明板
正面に庫裡と開山堂があるが、本堂は左手の丘の上である。途中に小池に石組の庭あるが、手入れされていない。
国重文 羽賀寺本堂
室町中期 文安4年(1447)再建
桁行13.74m(5間)、梁間14.63m(6間)、棟高13.21mの規模である。桧皮葺き入母屋造りに、各部和様を基調とする本堂のたたずまいは、屋根の勾配の柔らかさ、軒廻りの線の美しさなど調和して遠い由緒を持つ名刹に恥じない。
(小浜市ホームページより)
国重文の仏像(十一面観音、千手観音、毘沙門天)が安置されているが、撮影禁止である。
その他
羽賀寺庭園 江戸中期 池泉鑑賞式
本庭は後部の山畔を築山風に作り、これに枯滝石組の豪健な立石や、遠山石を用い、下部に細長い小池泉を設けてあって、小池庭ながらよくまとまった庭であり、江戸初期末年の庭としてよく保存されている。現状は少々荒廃し手入れも不十分であるから、いま少し入念な手入れをしてほしいものである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」羽賀寺庭園より)
この庭園は開山堂と庫裡の裏(北側)にある。
左手の出島は亀島である。
開山堂の西側の三尊石組
A camera
B camera
Jan. 2011 大野木康夫 source movie
2012.1.3撮影
境内各所
本堂(重要文化財)
Nov.2010 撮影:大野木康夫
所在地 福井県小浜市羽賀82-2
山号本浄山。高野山真言宗。
霊亀2年(716)行基の創建と伝えられ、本尊が元正天皇の姿を写したものであるところから、古くから勅願所として朝廷の保護を受けたとみられています。羽賀寺所蔵の古文書には、勅筆や女房奉書などの公卿や門跡の書状が数多く残されています。
本尊の十一面観音菩薩立像は桧材の一木造で、柔和な顔立ちに、しなやかな体つきで、若狭で最も美しい木造仏といわれています。長く秘仏であったため造った当初の彩色を残しています。脇侍の木造毘沙門天(像高159.1cm)、木造千手観音(像高135.4cm)は藤原時代末期の作で国の重要文化財に指定されており、ほかにも絵画や書籍などの文化財を所蔵しています。
本堂は、文安4年(1447)安倍氏の寄進によって造営されたもので、間口13.74m、奥行き14.63m、棟高13.21mの規模で、桧皮葺入母屋造りには各部和洋を基調とするたたずまいは、屋根の勾配のやわらかさや、軒廻りの線などに美しい調和をみせています。
(小浜市HPより)
小浜市の中心街の北東、田園地帯を抜けて5〜6㎞行った山の麓にあります。
駐車場から見える本坊の左手に、伽藍への参道が続いています。
鐘楼
石段を上がった左手に、鐘楼があります。
北陸の気候のせいか、古材の風化具合が独特の感じです。
本堂(重要文化財)
文安4(1447)年の建築
構造:桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
内部は撮影禁止ですが、本尊の十一面観音菩薩立像は本当に美しいです。
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