福井県小浜市 萬徳寺
Mantokuji,Obama city,Fukui
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August 10, 2019 野崎順次 source movie
福井県小浜市金屋74—23
高野山真言宗
延宝山 万徳寺
応安年中(1368〜1374)安芸円明寺の覚応法印が各地を廻り、この地にあった天台宗極楽寺を正照寺と改め真言宗を広めました。天文13年(1544)、祈願所となり、罪人は入寺すれば助かるという若狭唯一の「駆け込み寺」となりました。慶長7年(1602)寺号を萬徳寺と改めました。
本尊阿弥陀如来坐像は、極楽寺の本尊でした。偏袒右肩の衲衣をまとい上品下生の来迎印を結び、長方形の裳懸座上に結跏趺坐した像です。
本堂の南西方の斜面を利用した埋石式枯山水庭園は、主要部は1,800㎡、白砂敷き部分は約240㎡、斜面中段の中心部に2.2mの本尊石を配しています。庭園は、5月〜6月にはつつじ、10月下旬〜11月中旬にはもみじが、白い砂と山の緑と見事な調和を作り出しています。
国指定の重要文化財、絵画・藤原末期の絹本著色不動明王三童子像、鎌倉中期の絹本著色弥勒菩薩像などを所有しています。
(小浜市ホームページより)
JR近江今津から小浜行のバスに乗り、若狭国分で降りて金屋の村落まで歩く。
パンフレットと現地説明板
通用門と山門、山門の方は藩主専用の御成門と思われる。
国名勝 万徳寺庭園 江戸時代初期 枯山水・池庭
さて本庭は方丈の前庭で、全面積が約四百四十坪ほどあり、方丈の南西庭となって、南西の山畔を利用し、正面に大きく築山を設け、そこに巨石七尺六寸高のものを立て須弥山石とし、蓬莱石を兼ねている。この巨石一個だけを特に高く扱って、その四周に小石を多く集団風に組むものは、一種の須弥山手法と見てよいが、ただ時代が江戸初期にまで降ると、もはや本来の仏教的な意味は忘れられてしまって、蓬莱石組と大差がなくなって来るのである。
現在サツキの刈込の中に隠れているが、中央部に鶴島の石組があり、亀島は下部の小池泉にある。全庭に刈込が繁茂し過ぎていて、急所の石組の見られないのが惜しい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」万徳寺庭園より)
書院(方丈)江戸初期 延宝五年(1677)
書院内部
両界曼荼羅(市文)と上壇の間など
本堂
国重文 木造阿弥陀如来坐像 平安時代後期 像高 141.5cm
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