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福井県敦賀市 玄蕃尾城跡

Genbao castle ato,Tsuruga city,Fukui

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June24,2018 中山辰夫

玄蕃尾城 (げんばおじょう)

滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬 福井県敦賀市刀根

関連地図

 

玄蕃尾城は滋賀県と福井県の県境にある。登山口は2ケ所ある。今回は滋賀の余呉町柳ケ瀬から探訪を行った。

       

この道は余呉と敦賀を結ぶ旧道である。交通上の要衝で宿があり、宿の入口に元和年中(1615〜24)彦根藩が柳瀬関所を置いた。

玄蕃尾城

織田信長の家臣で、後に賤ケ岳の合戦で豊臣秀吉に破れた越前北の庄城主柴田勝家の本陣となった山城。

滋賀県と福井県の県境に聳える柳ケ瀬山(439m)山頂にある。

この戦では、勝家は戦わずしてこの城から撤退し、その後手づかずのまま残されたことから、山城の構造が合戦当時のまま残されている。

石垣などはなく、空堀を巡らし、土塁を築いた南北300m、東西150mに及ぶ広大な天然の要塞を利用してつくられた山城である。

1999(平成11)年に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定され、また2017(平成29)年「続日本100名城」に選定された。現在は地元の人たちの手で丁寧に保存・管理されている。

進路は人工林の中をジグザグ進むと尾根上を進む道となり林相も自然林となる。ほどなく倉坂峠に至る。

       

行市山砦跡方面と玄蕃尾城方面との分かれ道−尾根伝いに一里余り・幅三間の軍道が開かれた。

      

尾根道を登りつめると倉坂越(刀根越)−もうすぐに玄蕃尾城の入口に至る。登り始めて約1時間

    

本陣案内 赤=土塁 青=水路 (詞量:敦賀市HP、福井県教育委員会)

    

城は4カ所の廓を連結させた構造で、各廓は高い土塁と、深い堀に囲まれ土橋で連結されている。

大手門〜防御廓〜攻めだし口〜馬出し廓 周辺

         

本丸〜櫓台〜馬出〜張出廓(見張台) 周辺

            

本丸部分には方形の高まりがあり、礎石もみられることからここに櫓「矢倉」が建っていたとされる。

兵站廓〜搦手門 周辺

            

賤ケ岳合戦は、江北・余呉湖周辺で、2月初旬から4月下旬までの2ヶ月間に及ぶ対陣の末、4月20日に佐久間盛政が秀吉軍の中川清秀の守備する大岩山砦を急襲、この知らせを聞いた秀吉が意表を突く早さで大垣から引き返し、大岩山砦の佐久間盛政に反撃を開始。

秀吉軍の反撃の前に佐久間軍が敗れると、柴田軍主力部隊からは戦線を離脱する将兵が続出し、勝家軍は敗走。

越前北之庄城に帰り着いた勝家は籠城を決意するが、秀吉軍の攻城の前に勝家はお市の方とともに自刃。4月24日の北之庄城落城によって賤ヶ岳の戦いは幕がおりた。この合戦は、秀吉の関白政権へ道を開くものであった。

玄蕃尾城はその後利用されることなく廃城となった。地元の方々が定期的に刈り払いを行っておられるため、縄張を一目で観察できる。感謝!

参考資料≪福井県・敦賀市資料、滋賀県の地名、近江城郭探訪、他≫


June 7,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                      

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