福井県敦賀市 気比神宮
Kehijingu,Tsuruga,Fukui
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敦賀市曙町11-68 気比神宮大鳥居 重文 近世以前/神社 江戸前期 正保2(1645) 木造両部鳥居 19010327
Sep.28,2019 蒲池眞佐子
北陸道総鎮守 越前国一之宮。地元では「けいさん」と呼ばれ親しまれている。
歴史も古く、建立は飛鳥時代とされていて日本三大鳥居の一つがある神社としても知られている。
松尾芭蕉も「おくのほそ道」で訪れたという神社。
気比神宮のご祭神は伊奢沙別神・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・應神天皇・玉妃命・武内宿禰命の合計7柱。
「気比」という地名は「食の霊(けのひ)」が由来と言われている。
昭和20年の敦賀大空襲にて鳥居を残して焼失した為、昭和に入って再建された。
日本三大鳥居(日本三大木造鳥居)である鳥居の一つ。
広島県の厳島神社、奈良県の春日大社と並ぶ。
全高11m、現在は重要文化財に指定されている。
猿田彦神社
気比大神を案内される神
April 6, 2019 野崎順次 source movie
大鳥居そばの枝垂桜
国重文 大鳥居 江戸前期 正保二年(1645)
木造朱塗の両部鳥居で、高さ36尺(10.93メートル)・柱間24尺である。扁額「氣比神宮」は有栖川宮威仁親王の染筆になる。
神宮の境内入り口は古くは東側にあったため(「社殿造営」節参照)、初代鳥居は弘仁元年(810年)に境内東側に建てられていたが、その鳥居は康永2年(1343年)に大風で倒壊したという。そして、寛永年間(1624年-1644年)に佐渡の旧神領地の鳥居ケ原から奉納された榁(むろ)の大木を使用して、現在の大鳥居が境内西側に建てられたと伝える。この鳥居は空襲の被害を免れており、国の重要文化財に指定されている。また、奈良の春日大社・広島の厳島神社の大鳥居とともに「日本三大鳥居」にも数えられている。
(ウィキペディア「気比神宮」より)
気比神宮神池・神島
奈良時代 神苑様式
本殿に向かって右手には古図にみられる掘池が保有されている。
この神池を一覧すると、近年の改造が目につくが、それにしても大体には中島のある神池が保存されている。奈良期になっての改造であるとしても、よく神池の姿を保存している。
古図によると、この神池も神島も、ともに長く地割されている。しかも当社の場合は神池神島といっても、当社が大宝期に現地に鎮座した関係で、上古のままの神池や神島の形式にならなかった。すでに社殿はその境内中央に鎮座し建立されいる関係で、池も島も神を奉斎したのではないから、むしろ一種の神社苑という訳である。
幸い本苑は当社古図に図示されていて、古くから保存されてきたことを語っているし、中島が長く作られていて、古松その他があり、恐らく最初の広い苑池が社殿増造のために狭くなったものと考えられる。そしてまた、江戸時代と、近年になっての改修の後も多くみられることは惜まれるが、それにしても、どことなく古神苑であることを語っている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」気比神宮神池・神島より)
南の池
絵馬堂南の亀の池
絵馬堂東の亀の池
神水苑
芭蕉句碑
その他境内
January 4,2014 大野木康夫 source movie
大鳥居(重要文化財)
正保2(1645)の建築
木造両部鳥居
参道から本殿へ
本殿付近
Oct.2010 撮影:大野木康夫
所在地 福井県敦賀市曙町11-68
気比神宮は、上古から敦賀の地に鎮座しており、朝廷の崇敬を受け、延喜式の名神大社に列するとともに、中世には、多くの社領を有し、越前一宮として、また、北陸道総鎮守として広く信仰を集めた。
織田信長の越前侵攻の際に社殿を焼失、社領も没収されて衰退したが、江戸時代に福井藩主結城秀康により再興した。
明治4年に国幣大社に、同28年には官幣大社となったが、昭和20年に戦災により旧国宝の本殿をはじめとして社殿の大半を焼失した。
戦後、段階的に社殿を復興し、現在の姿となっている。
祭神:伊奢沙別命(笥飯大神、御食津大神)
大鳥居(国指定重要文化財)
木造両部鳥居、正保2(1645)建築
戦災を免れ現存している。
中鳥居
拝殿
境内社角鹿神社
祭神:都怒我阿羅斯等命
本殿(流造銅板葺)は嘉永4年改築
境内社大神下前神社
祭神:大己貴命
天筒山麓に鎮座していたが明治22年に移転してきた。
土公
伊奢沙別命降臨の地として大宝2(702)年に現在の場所に社殿が造営されるまで、
気比宮が鎮座していたとされる。
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