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福岡県太宰府市 観世音寺

Kanzeonji,Dazaifu city,Fukuoka

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April 2,2015 田中康平

福岡県太宰府市観世音寺5丁目6?1

「源氏物語」にも記述がある古い寺院で、奈良時代天平18年(746年)に完成したがその後何度も焼失し現存の建物は江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財、修理中)の二堂があるのみである。

礎石からは現存のものより大きな建造物であったと思われる。

梵鐘は京都妙心寺の梵鐘(698年鋳造)と兄弟鐘といわれ、国宝に指定されている。福岡県糟屋郡多々良で鋳造されたと伝えられている。

収蔵庫の堂々たる平安期の仏像(国重要文化財)16体も往時を偲ばせる。

(太宰府観光協会の紹介文に基づく)

裏手に観世音寺の鎮守とされる日吉(ひえ)神社があり桜も美しい。


Nov.2011 野崎順次 source movie

福岡県太宰府市観世音寺5−6−1

清水山 観世音寺

撮影日: 2011年10月29日

観世音寺は8世紀後半、天智天皇が亡き母斉明天皇の菩提を弔うために発願された寺だが、天智天皇から聖武天皇まで7代に渡って朝廷の援助があったにもかかわらず、その造営は遅々として進まず、養老7年(723年)には沙弥満誓を、さらに天平17年(745年)に玄昉(げんぼう)を造観世音寺別当として九州に下向させ、翌18年に完成、落慶法要が行われた。実に80年余りもの年月をかけて、「府の大寺」は完成した。その後も、西海道随一の寺として、観世音寺は大宰府政庁の庇護の下、積極的に寺領の拡大を続けた。しかし、南北朝・戦国の争乱の中で、観世音寺の伽藍は焼失、観世音寺も衰退したが、現在は天台宗の寺院として、また太宰府の観光地の一つとして、多くの参詣客・観光客が訪れる。

参道を直進したが、左手に一面のコスモス畑を見つけて寄り道してから、再び、参道に戻る。キジが右手に歩いていったと掃除のおばさんが教えてくれたが、見つけられなかった。

県文 本堂 元禄元年(1688)再建

入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。堂内にはもと金堂にあった聖観音立像(重文、平安)を安置する。

県文 金堂 寛永8年(1631)再建

入母屋造瓦葺きの簡素な建物で、堂内には不動明王坐像のみを安置する。

本堂回りの境内、天平時代とされる石臼(重要美術品)や五重塔心礎などがある。

国宝 梵鐘 白鳳時代

観世音寺には創建以来の梵鐘が伝わっている。この梵鐘自体には銘文がないが、兄弟の鐘とされる京都妙心寺の鐘が698年鋳造であることが明らかであることから、それに近い製作年代が推定できる。

僧坊跡の礎石群、延喜五年(905)の「観世音寺資財集」にある大房跡と推定される。

宝蔵には九州屈指の重要文化財が多数収納されている。特に高さ3〜5mを超える5躰を含めて十数躰の仏像があり、見るものを圧倒する。背後にはコスモス畑が広がる。

参考資料

福岡県 西都太宰府HP

ウィキペディア「観世音寺」


Dec.2008 瀧山幸伸 source movie


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