福岡県太宰府市/大野城市/春日市 水城跡
Ruins of Mizuki、Dazaifu city/Ohnojyou city/Kasuga city , Fukuoka pref.
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Feb.24 ,2014 田中康平
福岡県太宰府市水城 他
国指定特別史跡
文化財等データベース解説文(H10-07-060):
水城跡は、天智天皇3年(664)に大宰府防衛のために築かれた防御施設である。
大野城に連なる丘陵端から西方に向けて丘陵を次々と結び、大宰府側から博多湾への平野開口部を遮る形で築かれており、大宰府西北の大土塁と大土居土塁、上大利土塁、天堤土塁、天神山土塁の4か所の小土塁が特別史跡に指定されている。
御笠川を挟んで東西にのびる大土塁は、全長1.2キロメートル、堤体は幅75メートルの壇上に基底幅15メートル、高さ7メートルほどに築かれ、東西両端に城門が開いており、博多湾側の防御前面には幅60メートルの巨大な濠が設けられていた。また、大宰府側にも導水に用いられたと考えられる濠や樋が設けられ、御笠川にかかる場所には堰と推定される石積みが築かれている。
水城跡の史跡指定地域は十分なものとはいい難く、なお保存を要する地域が未指定で残っている。
今回JR水城駅傍の水城跡に訪れた時は100年ぶりの土塁断面再調査が行われており、断面の様子を見ることができた。砂質土と粘性土を交互に入れてつき固める版築と呼ばれる工法独特の縞状の断面が明瞭に認められる。
水城の土塁の上には遊歩道がありその大きさを体感できる。
日本書紀に「天智(てんち)三年(664) 対馬嶋(つしまのしま)、壱岐嶋(いきのしま)、筑紫国(つくしのくに)などに防(さきもり)と烽(とぶひ)を置く。また、筑紫(つくし)に、大堤(おおつつみ)を築きて水を貯えしむ。名づけて水城という。』とあります。その意味は対馬、壱岐、筑紫の国などに防衛のために兵士を派遣し、通信手段のためにのろし台を設置した。また、筑紫に大きな堤防を築いて、水を貯えさせた。水城という名をつけた。となります。
水城の堤防は、大城山麓(おおきさんろく)から下大利(しもおおり)に至り、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工の盛土(もりつち)による土塁(どるい)で、博多側には幅60メートルの濠(ほり)がありました。現在では「水」という文字を使うのか疑問に感じる人も多いでしょうが、当時は満々と水を貯えた濠と見上げるような大きさの土塁があったのです。
(大野城市教育委員会HPより)
説明表示と歩行ルート。まさに現存する古代の巨大土木構造物である。
水城跡を分断するようにJRは走っている。今回歩いたのは、JRの北側(写真では
左側の水城跡である。
太宰府側は広い台地上になっている。
登ると尾根道が続く。北東に進む。
水城跡が途切れて、再び太宰府側を南に戻る。
博多側からみる。
Dec.2008 瀧山幸伸 source movie
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