福岡県 飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
Old house of Mr.Ito-Denemon,Iizuka city, Fukuoka pref.
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Apr.3,2016 瀧山幸伸
臨時休館のため見学できず
Sep. 26,2013 田中康平
福岡県飯塚市幸袋300
飯塚市有形文化財
庭園:国指定名勝 指定年月日:2011.09.21(平成23.09.21)
明治44年に結婚した歌人白蓮と炭鉱王伊藤伝右衛門が暮らした邸宅として知られる。結婚を機に改修整備された。現在は飯塚市が所有、管理運営している。
NHKの連続テレビドラマ「花子とアン」の舞台の一つでもあり訪れる人が多い。
以下は国指定文化財データベース解説文:
遠賀川中流の左岸堤防に近接する微高地には、北部九州の筑豊地区における代表的な炭鉱経営者のひとりである伊藤傳右エ門(1860〜1947)が、大正時代中頃から昭和時代初期にかけて造営した大規模な本邸の池泉庭園が存在する。傳右ヱ門は牟田・中鶴・泉水・宝珠山などの炭鉱の経営に携わる傍ら、衆議院議員を二期努め、鉱業に関する法制度の整備や洪水が相次いだ遠賀川の改修にも尽力した。
伊藤氏がこの地に居を構えたのは幕末の頃であったが、傳右エ門は採炭事業の伸展とともに順次宅地を拡大し、明治三十年代には炭鉱経営者の本邸に相応しい規模にまで発展させた。大正時代前半に現在の敷地の全体を入手するとともに、主屋北側の池泉庭園の基本的な意匠・形態が出来上がり、昭和初期までには現在見る建築・庭園のほぼ全容が完成した。このような敷地の拡大及び建築・庭園の整備は、明治44年(1911)に傳右ヱ門が後に白蓮の名の下に歌人として知られるようになった柳(やなぎ)原(わら)燁(あき)子(こ)と再婚し、本邸に移り住んだことによるものと考えられる。
旧伊藤傳右エ門氏庭園は、大きく三つの空間から成る。第一は馬車回しと広場に造園的意匠が見られる玄関前の導入部、第二は主屋を含む一群の建築の隙間に造られた小規模な二つの中庭、第三は敷地の北半部に展開する広大な池泉庭園である。
敷地の西南隅に位置する長屋門は、昭和2年(1927)に火事により被災した福岡市天神の別邸「銅(あかがね)御(ご)殿(てん)」から移築したもので、その内側に当たる玄関前の砂利敷き広場の中心には、株立ちのソテツを植えた馬車回しが設けられている。
玄関から客間である本座敷、最奥部の東座敷(白蓮の居間)に至る途上には、玄関脇の洋風応接間に付随する中庭をはじめ、茶室である角之間に付随する露地庭がある。いずれも建築に挟まれた狭い空間に飛石を打ち、蹲踞や石燈籠などを配置した小規模な庭園である。
敷地の北半部を占める大規模な主庭は、流れ及び二つの池泉の背後に緩やかな盛り上がりを見せる築山などから成り、主屋一階及び二階からの広角の展望を意図した庭園であるとともに、園内を一巡する途上で様々な景を楽しむことができる回遊式庭園でもある。
敷地西北隅部の滝を象徴する立石から、やや乱雑に並べた人頭大の玉石群の随所に青石を配して渓流を表現した流れが発し、池泉に至るまで緩やかに蛇行する。
石で護岸された池泉の汀線の随所には、奇怪な形状の景石や池の水面に突き出すように据えられた景石があるなど、変化に富んでいる。主人居間の北側に位置する滝石組を挟んで、水は西の池泉から東の池泉へと流れ落ちるように造られている。西の池泉には大きな一枚の石橋が架かり、主人居間の縁先から延びる飛石と築山頂上の茅葺き八角形の四阿とを結んでいる。四阿からは、主屋及び庭園の全景を望むことができる。
滝石組より東の池泉には、石造の太鼓橋が架かるのをはじめ、複雑に入り組んだ石組の汀線が下方に巡り、その池中には石燈籠を配した中島が存在する。
西と東の二つの池泉で特に注目に値するのは、二基の石造噴水施設である。東の池泉の南岸付近には、花崗岩製の円柱と上面に直径70センチメートルの水鉢を据えた噴水施設がある。おそらく円柱は寺院の燈籠を転用したものと見られ、側面の上端付近には龍の形姿が、下端付近には雲気がそれぞれ陽刻され、両者の中ほどには「明和改元」(1764)の文字を含む漢文が印刻されている。西の池泉の中央付近にも、凝灰岩の自然石の上面を彫り窪めた今ひとつの噴水施設が存在する。
また、池泉及び上流の石組みの流れはすべて底部がセメントモルタルで塗り固められており、昭和初期の庭園に流行した意匠・構造の特質を見ることができる。
敷地の西北隅及び東北隅には石塔が建てられているほか、主屋の縁先、池泉及び築山を巡る園路の随所には様々の形式を持つ石燈籠等が据えられ、近代の回遊式庭園の庭園景物としても十分な質と量を誇る。
このように、伊藤傳右エ門氏庭園は、北部九州の筑豊炭田の炭鉱経営者の本邸庭園として貴重であり、変化に富んだ展望と特質のある景物には芸術性に富んだ優秀な造園意匠が認められる。その芸術上・観賞上の価値は高く、よって、名勝に指定し、保護を図ろうとするものである。
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