福岡県糸島市 鎮懐石八幡宮
Chinkaiseki-hachimanguu shrine,Itoshima city,Fukuoka pref.
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Jan.6,2018 田中康平
福岡県糸島市二丈深江2143-1
胎内に応神天皇を宿しながら三韓征伐に出向いた神功皇后が出産を遅らせるために持参したといわれる石を御神体としている八幡宮。神功皇后はこの地に無事帰着したのち自らがここに石を置いたとされ神社の起源は非常に古い。
御神体の石そのものを見ることはできないが、それに似た石が拝殿の前に置かれている。
万葉集 巻五には山上憶良による鎮懐石についての記述と歌(天平元年(西暦730年)11月に当地を訪れた際に詠んだ)が載せられており、これによって、奈良時代には少なくともこの場所に神功皇后が新羅に持参したされる石が二つ置かれていたことが解る。
山上憶良の記述によれば大は長さ1.26尺小は1.1尺と記していることから凡そ35cm程度の長さの石と思われる。現在ここに伝えられているのは1個のみであるという。
万葉集の該当箇所(巻五813,814)は下記
筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 圍一尺八寸六分 重十八斤五兩 小者長一尺一寸 圍一尺八寸 重十六斤十兩 並皆堕圓状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂p尺璧是也 [或云 此二石者肥前國彼杵郡平敷之石 當占而取之] 去深江驛家二十許里近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用茲兩石挿著御袖之中以為鎮懐 [實是御裳中矣] 所以行人敬拜此石 乃作歌曰
かけまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐかねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今のをつづに 貴きろかむ
天地のともに久しく言ひ継げとこの奇し御魂敷かしけらしも
(右事傳言那珂<郡>伊知郷蓑嶋人建部牛麻呂是也)
倭国が新羅を攻めたとの記述は古事記・日本書紀にある一方、朝鮮半島側の史書にも残されており神功皇后の三韓征伐にあたる時期は西暦360年ごろと思われる。三韓征伐は史実として存在したと推定される。
鎮懐石の逸話については奈良時代に山上憶良が訪れた時すでに400年近い時を経ており長い時の中でそのような話が形成されていったとも考えられる。
神社入口 江戸時代末期(1859年)に造られた万葉歌碑がある。また江戸後期1814年に建てられた鎮懐石の由緒を記した鎮懐石碑も残されている。
陰陽石の祠
社殿と鎮懐石相当と思われる石
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