福岡県桂川町 王塚古墳
Ouduka old burial mound ,Keisen town, Fukuoka pref.
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May 4,2015 瀧山幸伸 source movie
特別史跡
昭和12年6月15日史跡指定され、昭和27年3月29日特別史跡として指定された王塚古墳は、遠賀川の上流、穂波川右岸の丘陵上に営まれた前方後円墳であり、その石室に施された豪華な装飾により特別史跡に指定されている。
昭和9年に採炭復旧工事用の土取り作業中に石室が発見されたもので、前方部の大半が失われており、今日、石室の保存のための処置や墳丘の復元、周濠等周辺の保全が緊急の課題となっている。
石室発見時の調査によって、古墳周辺には墳丘に対してほぼ等間隔にめぐる道路や畑の区画のあることが確認され、それが湟阯であることが指摘されてきた。この周濠部分を追加指定するものである。
(文化庁)
1934年(昭和9年)9月30日に採土工事中に前方部が削られ、横穴式石室の前室右壁隅が開口し、偶然発見されたもので、6世紀中ごろに作られたとされている。形状は前方後円墳であるが、先の工事によって墳丘の半分以上は失われている。福岡県によって調査され、1937年(昭和12年)6月15日に国の史跡指定を受けた後、1952年(昭和27年)3月29日に装飾古墳として国の特別史跡第1号に指定され、出土遺物は1956年(昭和31年)重要文化財に指定され、京都国立博物館に委託保存されている。失われた部分を完全に復原すると、全長約86メートル、後円部径約56メートル、後円部高約9.5メートル、前方部幅約60メートル、墳丘は二段築成で黒色と赭土色(あかつちいろ)の粘質土を交互に積み上げ版築状に造り上げている。斜面には円礫の葺石が葺かれていて、円形埴輪も確認されている。二重の周濠が巡らされている。
現在、石室は完全に密閉されて保存されており通常は見学することは出来ないが、春と秋の年2回一般に公開されている。王塚古墳の最大の特徴は、石室のほぼ全面に施された壁画である。描かれている図像は馬、靫(ゆぎ)、盾、刀、弓などのほか双脚輪状文、蕨手文、三角文、円文などの幾何学的文様。 2005年7月現在、日本で確認されている装飾古墳の壁画で使われている色は6色(赤・黄・緑・青・黒・白)あるが、そのうち青を除く5色が使われており、国内最多である。
(wikipedia)
王塚装飾古墳館
周囲の古墳
合鴨農法の古野さん親子と農地
Oct.20, 2013 田中康平
福岡県嘉穂郡桂川町寿命376番地
特別史跡 指定年月日:1937.06.15(昭和12.06.15) 特別指定年月日:昭和27.03.29
遠賀川沿いの装飾古墳の一つ。春・秋に特別公開される。壁画の撮影は認められていない。
出土した土器より6世紀中頃の建造と推定されている。被葬者の骨は出土していないがこの地域を支配した一族とみられる。壁画はベンガラで赤く塗られた石の上に描かれていて、向かって右側は比較的良く見えるが左側は退色しているようで見にくい。
前方後円墳、前方部の一部が破壊されているが復元全長は約86mで大型。
装飾古墳として国内最多の5色で描かれている。
国指定文化財等データベース解説文:
昭和12年6月15日史跡指定され、昭和27年3月29日特別史跡として指定された王塚古墳は、遠賀川の上流、穂波川右岸の丘陵上に営まれた前方後円墳であり、その石室に施された豪華な装飾により特別史跡に指定されている。
昭和9年に採炭復旧工事用の土取り作業中に石室が発見されたもので、前方部の大半が失われており、今日、石室の保存のための処置や墳丘の復元、周濠等周辺の保全が緊急の課題となっている。
石室発見時の調査によって、古墳周辺には墳丘に対してほぼ等間隔にめぐる道路や畑の区画のあることが確認され、それが湟阯であることが指摘されてきた。この周濠部分を追加指定するものである。
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