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福岡県上毛町 唐原山城跡

Toubarusanjo ato,Koge town,Fukuoka

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Dec.1,2017 瀧山幸伸 source movie

唐原山城跡は、福岡県東南部、周防灘に注ぐ山国川河口付近に所在する新たに発見された古代山城跡である。南北約0.8km、東西約0.6km、比高約70mの独立した丘陵上に立地し、北方の古代官道推定線や周防灘に向かった眺望は極めて良好である。周辺の周防灘沿岸には、史跡鹿毛馬神籠石、史跡御所ヶ谷神籠石などの古代山城跡が所在する。

 唐原山城が所在する丘陵は、遺跡が発見される以前から列石の存在が地元で知られていた。平成10年秋に大平村教育委員会が踏査を実施した結果、丘陵上に古代山城の列石の特徴である上部にL字状の切り込みを施した花崗岩製の切石列と土塁を確認した。さらに丘陵北西部から東、南にかけての4箇所で、多いものでは3石がつながった切石列を確認した。列石が存在していない箇所においても、列石推定線に該当する箇所で幅3から4mのテラス状の平坦面を検出している。なお、5km離れた中津城の石垣に、この切石を転用していることが確認されている。丘陵の西側は友枝川に面した直線的な急斜面で、北側から東側にかけては3つの谷が入り込み比較的緩やかである。列石線は、推定で約1.7kmであり、それにより囲まれた範囲は南北約0.8km、東西約0.6kmである。城内には3つの谷を取り込んで築造しており、それぞれの谷部には水門を築成している。そのうち北部の深くて広い谷にある第1水門と、南東部の浅い谷にある第3水門を調査した。

 第1水門は北側に延びる谷部に位置し、長さ37m、奥行き13mと最大の規模をもつ。石列の前面は谷を塞ぐように基底部に18石を並べ、二段積みで高さ1.6mを測り、奥に向かって人頭大の川原石を敷きつめている。石列の東端には幅1.2m、長さ12mの城門を築いている。石列西端には、全長13.6m、幅0.8mで、開口部の高さ0.45mの花崗岩切石を多用した大規模な暗渠を設けている。第3水門は東南の谷部に位置し、長さ7m、奥行き9mを測る。中央部に花崗岩切石を用いた暗渠を設け、排水口前面に奥行き1.6m、幅7mの石敷によるテラス状平坦面を造っている。これは、排水による侵食防止を意識したものと考えられる。水門の両側には、それぞれ2条の土塁がつながっており、水門の内側で礎石建物も検出した。

 唐原山城跡は、築造時期を直接示す遺物は出土しなかったものの、その構造と他の類例から7世紀後半頃に築造されたと考えられる。この頃は唐や半島諸国との対外関係が緊張した時代であり、古代山城跡が対馬から近畿地方まで約30箇所で知られている。北部九州のもので文献資料に記された城に比定できない遺跡は以前は「神籠石」と呼ばれ、大規模な水門や石垣が残るものが多い。唐原山城跡は、列石が一重であることや大規模な石垣を持たない等の点でこれらとはやや構造を異にするものの、7世紀の対外関係を示す遺跡として極めて重要である。よって、史跡に指定し保護を図ろうとするものである。

(文化財データベース)

                   

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