福岡県久留米市 田主丸古墳群
Tanushimaru kofungun,Kurume city,Fukuoka
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Apr.4,2017 瀧山幸伸 source movie
国史跡
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町内で350基の古墳
江戸時代の記録では1053基
弥生時代に続く三世紀の終わりから七世紀代、古墳が数多く築かれた時代を古墳時代といいます。この時代には、近畿地方を中心として成立した大和朝廷の支配が地方に広がり、国としてのまとまりが生まれました。
特に耳納山麓には古墳時代後期に爆発的に群集墳がつくられています。田主丸町で現在までに確認された古墳は消滅部分も含めて350基を数え、江戸時代の終わりに書かれた「寛延記」によれば、現在の町の範囲で1053基の古墳が存在していたとされ、まさに山麓一帯が墓域でした。現在町内には15の古墳群が存在しています。
謎につつまれた大塚古墳
古墳時代後期では九州最大の前方後円墳
嘉永6年(1853)に久留米藩士の矢野一貞が残した「筑後将士軍談」に「山辺街道の南側にあり、当国一の大塚なり」と記されている田主丸大塚古墳。
平成4年からの調査で高度に組まれた葺石や石室の入り口などが確認され、南側斜面上に前方部をのばす大型前方後円墳であることがわかりました。後円部の直径が60メートル、全長103メートルで六世紀の後半に築かれたと推定され、その時期では九州最大の規模を誇ります。しかし、その規模にも関わらず、文献も地名にまつわる氏族の伝承もない謎につつまれた古墳です。
埋葬された人物も、死後もなお筑後平野を眼下に見下ろすことを望んだのでしょう。墳丘の頂上に立てば、今も絶景が広がっています。
(田主丸町観光ナビ)
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田主丸大塚古墳
Tanushimaru Otsuka kofun
寺徳古墳
Teratoku kofun
中原狐塚古墳
Nakabaru Kitsunetsuka kofun
西館古墳
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