福岡県添田町 英彦山
Hikosan,Soeda town,Fukuoka
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田川郡添田町大字英彦山1 英彦山神社奉幣殿 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和2(1616) 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺 棟札14枚 19070527
Edited movie Download YouTube 総集編
May 4, 2022 野崎順次 source movie
英彦山庭園群
(Groups of Japanese Gardens near Hikosan Shirine, Soeda Town, Fukuoka
Pref.)
英彦山神宮の僧坊に室町時代から江戸時代中期にかけて築造された庭園で、以下の7か所が国の名勝に指定されている。
旧亀石坊庭園
旧座主院御本坊庭園
旧座主院御下屋庭園
旧政所坊庭園
旧泉蔵坊庭園
旧顕揚坊庭園
英彦山神宮旅殿庭園
江戸時代まで英彦山には数多くの坊舎・庭園が存在したが、その多くは明治時代の廃仏毀釈により破壊されたといわれる。
(ウィキペディア「英彦山庭園群」より)
福岡県東南部、大分県との県域に位置する英彦山は、標高約1,200mの南岳・中岳・北岳の三峰から成る信仰の山です。国内を代表する修験道の霊山で、古代から近世に至る信仰や宗教活動を示す多数の遺構が良好に保存されています。
これまで、旧亀石坊庭園が雪舟作庭伝承から英彦山内で最も古く築かれた庭園として考えられています。庭園は山裾に池泉を有する観賞式の庭園、底の浅い池泉、大きな滝添石で構成された滝石組、池中に配された天端の尖った立石、池に張り出した護岸石などの特徴的な意匠であり、「山岳地二於ケル築山泉水庭ノ古園トシテ佳作トスヘシ」として評価され、名勝に指定されています。
今回、添田町教育委員会による平成28年度~平成30年度の3ヶ年に亘る英彦山庭園調査の結果、英彦山において60箇所を超える庭園の存在が明らかになりました。その中で、追加指定をする6つの庭園遺構は、室町時代から江戸時代にわたって営まわれた英彦山の庭園文化の様相を表しており、日本庭園史上極めて重要であることから「英彦山庭園」の総称の下に一体の庭園群として追加指定するものです。
(添田町公式ウェブサイト「英彦山庭園-追加指定地の概要」より)
今回は天気が良すぎて木漏れ日に難儀した。
小倉駅からJR日田彦山で添田駅まで、それから先は平成29年7月九州北部豪雨の影響により不通なので、代行バスで彦山駅まで、次いで、町営バスに乗り換えて、神宮下バス停で降りた。
この付近の道と庭園を示す適当な地図がネットで見つからなかったが、添田町営バスの路線図を拡大して張り合わせたたら、とても分かりやすい。結局、Yahoo地図と判明した。
国名勝 旧亀石坊庭園 室町 池泉鑑賞式
本庭は今日坊の建築はすたれていて庭園のみが保存され、近年雪舟荘ができている。全庭二百十九坪の面積で、山畔下の池庭である。池庭は二十一坪の細長い小池であり、山畔上部に蓬莱式の巨石を立て、三尊石組を見せ、向かって右方に滝の石組を二段式に組み、まことに豪健な石組である。下部池畔の護岸石組とともに、さすがに傑出している。
池庭中央部山畔下には出島があって、この付近の石組が特に傑出し、亀頭石風な姿を見せ、対岸(手前)にはまた鶴石組を集団式の石組として見せているが、この石組手法は、同じ雪舟作庭の常栄寺(山口)の鶴島石組と酷似している。この出島の先端に立石の岩島があるが、はなはだ力強い手法である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」亀石坊庭園より)
参道石段は西から東に上がっている。その参道脇に巨大な宝篋印塔がある。文化14年(1817)、熊本の高僧で全国に2千有余もの仏塔をつくった豪潮律師により建立された。総高さ約8mで日本最大級。
参道を横切って花の道を南へ、そしてスロープカーで神駅へ
国名勝 旧政所坊庭園 桃山 池泉鑑賞式
今本庭を一覧すると、背後の山畔を利用してこれを築山風に扱い、下部に池を掘り、山畔に豪華な滝の石組を配し、池畔の護岸石組に巨石を用いて豪華な庭園とし、池中には岩島の立石も豪健で、まことに傑出した庭であるが、ただ本庭の作庭年代や作者についての文献は一切なく、実地にこれを認定するよりほかはないが、今本庭の石組手法などを一覧すると、本庭が慶長期(1596-1614)の作庭であろうことが大体に考えられる。
(中略)
今本庭を一覧すると、本庭は元の殿舎の南庭に当たり、山畔には遠山石、蓬莱石を豪華に組み、中央部には滝をこれまた豪健な手法で構成し、池中に亀島を設け、亀頭石は五尺二寸高に直立させた手法を見せ、亀石坊のものを模している。あるいはまた、その西部に鶴島の石組を作り、その石組手法も酷似している。おそらく亀石坊の石組を手本として作庭したものであろうから、坊中の何人かの作品と見てよい。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」政所坊址庭園より)
参道に向かう。花月の座石というのがあった。
旧立石坊の庭らしい遺構、そして福寿坊跡
国名勝 旧顕揚坊庭園 江戸初期 池泉鑑賞式
本庭には、雪舟作庭の伝称があるが、池庭の様式や、さらにまた後に述べるような石組の手法の上から、江戸初期末年に近い天和を中心とする作庭と考えることができる。
本庭は書院から飛石で池庭に出られるが、築山の北東部に滝を設け、漢流を作って池庭に流されている。そして池中には小石の水分石もあるが、滝の添石には五尺四寸高の立石を用いてあってなかなか美しい。そして滝の左手の築山上部には三尊石組がある。よく江戸初期の手法を見せている。
本庭の石組では、全庭の護岸石組がなかなか美しくできている。左方対岸には九尺三寸幅、二尺七寸高の長石を美しく配し、手前にも五尺六寸幅、一尺四寸高の細長い石を扱うなど、本庭では異色のある手法が用いられている。
さらにまた、本庭池中には美しい岩島があって、水上二尺一寸高の石が山形となっていて、一石岩島という、江戸初期頃の手法をよく語っている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」顕揚坊庭園より)
参道を下る。泉蔵坊は明治以降に玉屋谷から参道脇に移住した。玉屋谷には国名勝の旧泉蔵坊庭園(伝雪舟作)がある、そして知足院。
英彦山会所跡、庭園跡らしき石の配置がある。
彦山町:
元禄時代に小倉藩主の小笠原忠雄により構築され、かつては多くの商店で賑わっていた通り。いまでは土産物屋が残る場所。藤の花が目を引く。
さらに下る。松養坊、長三州の塾跡、大本坊跡、了乗坊、トカゲ。
曼珠院跡、いい庭があるが、文化財指定されていない。
自動車道路を横切り、増了坊、浅草観音堂跡、正實坊。
県民文 財蔵坊
財蔵坊は、その昔山伏たちの暮らした坊のひとつ。現在は添田町歴史民俗資料館として活用されている。当時の様子がほぼ完全な形で残っている貴重な建物で、英彦山で唯一、ガイドの説明を聞きながら見学できるそうだが、あいにく建物は閉鎖されていたので、外部を一回り撮影した。
淨境坊
国名勝 英彦山神宮旅殿庭園 1700年頃
旅殿は銅鳥居横の参道北側に位置し、現在も英彦山神宮神幸祭の神興行幸の御旅所として使用されています。建物前面が祭礼奉納の斎庭となっていて、その東側に浅い池泉庭園があり、瓢型池泉の中央に石橋が架けられています。
(添田町公式ウェブサイト「英彦山庭園-追加指定地の概要」より)
でかい杉の木
国重文 銅鳥居
その昔、英彦山の名称は「日子山」から「彦山」へ、さらに享保14年(1729)、時の霊元法皇が山号に「英」の字を加え、「英彦山」と書かれた鳥居の額を下賜されてこの名称となりました。鳥居は寛永14年(1637)、佐賀藩主鍋島勝茂公の寄進によるものです。
参道の上り口
旧座主院 source movie
旧座主院は英彦山南谷に位置し、現在は九州大学農学部英彦山生物学実験施設内なので許可が必要。きつい石段を登ると、石垣の上に平坦地があり、農学部施設の横に古い建物跡と庭園がある。
国名勝 旧座主院御本坊庭園 桃山 池泉鑑賞式
ただ本庭に関する文献がないが、本庭は、天正(1573-1590)を前後する時代、すなわち桃山初期の作庭であることは、本庭の池泉様式や、石組の手法の上で立証されている。
いま本庭を一覧すると、本庭は旧御殿書院の東南庭として築造され、山畔を利用して、そこに豪華な枯滝石組を作り、南部に出島があって、ここには蓬莱山の石組がまたなかなか豪華であり、しかもこの蓬莱石組は鶴亀両島の石組を兼用した手法を用いてあって、英彦山中に多数の庭園がある中でも、亀石坊庭園(雪舟作庭・室町時代)のものに次ぐ豪華庭であるとともに、自由奔放な石組手法によって、何人も驚くほどである。したがって桃山初期の豪快さ
がよく構成されていて傑出した石組であり、その保存もよく、今後の保存に努力ありたいものである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」旧座主院址庭園より)
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June 6,2020 瀧山幸伸 source movie
花見ケ岩
Hanamigaiwa
深倉峡
Fukakurakyo
May 12,2019 瀧山幸伸 source movie
英彦山修験道館
奉幣殿付近
奉幣殿から山頂へ
山頂
山頂から奉幣殿へ下山
奉幣殿から玉屋神社へ
玉屋神社付近
奉幣殿から石段を下る
旧亀石坊庭園(名勝)
柏原神社 三日月池
高住神社 豊前坊
May 20,2018 瀧山幸伸
深倉峡手前の棚田
Apr.9,2017 瀧山幸伸
Edited Movie Download YouTube 守静坊のしだれ桜 Shujobo Shidaresakura
鷹巣山
Takanosuyama
天然記念物
英彦山ノ一部ガ侵蝕ノ爲本體ヨリ分離シテ生ジタル熔岩「ビユート」ニシテ西ヨリ數ヘテ第一、第二、第三ノ三山ヨリナル第一山最モ大ニシテ高サ約六〇メートル、(海拔九七九・三メートル)第二山之ニ次テ稍小サク第三山ハ前二者ニ比シテ遙ニ小ナリ 何レモ「ビユート」トシテ理想的形状ヲ呈ス(文化財データベース)
英彦山
銅鳥居付近
守静坊のしだれ桜
Shujobo Shidaresakura
Aug.17,2016 田中康平
福岡県田川郡添田町英彦山
英彦山神宮
Hikosan-jinguu
主祭神は天照大神の子で、天孫降臨したとされるニニギの尊( 瓊瓊杵尊)の父にあたる正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)。
継体天皇25年に開設されたとの伝承があるが定かではない。忍穂耳命はこの地に天下ったとの言い伝えもある模様。
中世以降、神仏習合が行われており天台宗の修験場となっていた。
現存する奉幣殿は江戸時代前期に建造されており国の重要文化財に指定されている。
長い石段登りの代わりにスロープカーを利用すれば容易に奉幣殿に到達できるようになったが、石段の両側に残る宿房跡などを見ながら上るのもいい。
高住神社
Takasumi-jinjya
継体天皇の時代に創建されたと伝えられている。
農業神としての歴史が長く農耕牛馬の守り神としての信仰もあって、境内には牛の像が奉納されている。
英彦山登山の登り口の一つともなっている。
福岡県 添田町 英彦山深倉峡
Fukakurakyou,Soeda town,Fukuoka pref.
福岡県田川郡添田町
英彦山障子ヶ岳の南側にある渓谷。岩塊と新緑・紅葉の景観が良く、多種類の野鳥が生息していることでも知られる。
深倉峡園地に駐車し散策できる。
鬼杉
Onisugi
A camera
奉幣殿
Houheiden
旧政所坊跡 庭園
Kyu Mandokorobou ato garden
宝篋印塔
Houkyouintou
旧亀石坊跡 庭園
Kyu Kameishibou ato garden
銅鳥居
Doutorii
財蔵坊
Zaizoubou
B camera
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