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福島県福島市 医王寺

Ioji,Fukushima City,Fukushima

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May.2009 撮影/文 小笠原生雄

福島市飯坂町

笈(おひ)も太刀(たち)も 五月(さつき)に飾(かざ)れ 紙(かみ)幟(のぼり)

松尾芭蕉は奥の細道の途上、福島市飯坂町にある医王寺を訪ねました。旧暦の五月朔日のことでした。

医王寺は山号を瑠璃光山といい、平安時代の天長3年(西暦826年)に開基されました。

弘法大師御作の薬師如来をおまつりし、霊験あらたかで数多くの人々の信仰を集め、鯖野の薬師と呼ばれて親しまれているところです。

医王寺は信夫の荘司、佐藤家の菩提寺でした。

源氏と平氏が争っている時代に、佐藤基治は息子継信と忠信を源義経へ遣わしました。

兄弟は義経の家来の四天王にかぞえられていましたが、兄の継信は屋島の合戦で義経の盾となって戦死しました。

また、弟の忠信は、頼朝と和を失った義経が京都の堀川の館で苦境に陥った時、義経を脱出させるため、主君を装って応戦し討ち死にしました。

その後、義経主従は平泉へ向かう途中、医王寺に立ち寄り、兄弟の追悼の法要を営みました。

その際に、弁慶が背負っていた笈や義経の直垂が宝物として現存しています。

医王寺入り口

境内の案内図

鐘楼

境内入り口にある白樫の巨木

薬師堂へ通じる道

義経と継信、忠信の兄弟像

乙和(おとわ)の椿

基治、乙和御前夫婦の墓碑の傍らにある椿の古木。乙和御前の悲しみ、そして母情が乗り移ったのか、つぼみのままで開かずに落ちてしまう 椿で、いつしかこの椿を乙和の椿と言うようになりました。

顕彰碑と佐藤基治、継信、忠信兄弟の墓

薬師堂

医王寺本堂と庭の新緑

芭蕉の歌碑 笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟

宝物殿 瑠璃光殿

芭蕉像と解説

忠信奮戦の図

継信の最期の図 屋島の合戦で能登守教経が義経を射ようと放った矢を盾となって受け、戦死しました。

兄弟の鐙(あぶみ)

陣笠

弁慶の笈

義経の直垂断片

絵屏風

弁慶筆の写経

乙和姫筆の源氏物語

兄弟の妻達が甲冑姿で母をなぐさめた図

厚樫山舘の本田太郎の図

義経主従と兄弟の遺児との対面の図

与謝蕪村筆の奥の細道(複製)

五重塔

義経の書簡

斎藤清作薬師堂

月の輪の渡しから阿武隈川を下っている図

医王寺を訪れている図

飯塚(飯坂)の鯖湖湯につかる芭蕉の図

芭蕉坂

 医王寺で佐藤兄弟の妻達のかいがいしさに感動して涙を流した芭蕉はこの坂を下り、湯の里、飯塚(飯坂)へ向いました。

参考文献

偕成社発行 ガイドブックおくのほそ道

講談社発行 平家物語

瑠璃光山 医王寺案内書

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