岐阜県岐阜市 崇福寺
(Sofukuji Temple, Gifu City, Gifu Pref.)
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August 2, 2015 野崎順次 source movie
神護山 崇福寺
織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし永禄10年(1567年)美濃に移ると、ここ崇福寺(そうふくじ)を菩提所とし、保護しました。その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが現在の「織田信長父子廟」です。
本堂には「血天井」があります。これは、信長の孫織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城しましたが、この時戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたものです。今でも鎖かたびらや鎧ひだたれの血痕が付着しているのが見られます。
また、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」と言ったことで有名な快川紹喜が住職を努めたこともある由緒あるお寺で、堂内には貴重な資料が展示されているほか、きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。
(岐阜市観光情報 観光名所ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
山門あたり、庭園
元稲葉一鉄寄贈の梵鐘(現物は元和元年改鋳、その後、太平洋戦争で供出、戦後再々製)
さらに庭園と庫裡
関白一条兼良卿寄贈の中門・土塀
本堂前庭園と本堂
本堂の裏へ
市史跡 織田信長父子廟
位牌形墓標
位牌堂
東屋
齋藤利匡(当山開基)一族の宝篋印塔(文明、永正年間)
気温37度の猛暑である。長良橋までの1.5kmを歩くのが嫌で、バス停前の珈琲屋スイスで氷イチゴを食べてバスを待つ。
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