岐阜県垂井町 専精寺
Senshoji,Tarui town,Gifu
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June 2013 中山辰夫
不破郡垂井町1349
宗派:浄土真宗
「垂井の泉」の左後方にある。右隣は玉泉寺である。
858(天安2)年開山より幾多の受難を越えて現在に至っている。
慈覚大師が垂井町にある専精寺の前身である「天台宗 普門山善相院」を建立。当時は勅願寺であった。
その後天台宗より浄土真宗に改宗し、寺号を「普門山 専精寺」と改め、激動の時代・4回の移動を経て、現在の地に本堂が創建された。
当寺の周辺が、関ヶ原合戦に活躍した西軍の武将平塚為広の居城である、垂井城跡と云われている。
平塚為広は豊臣秀吉に仕え、1万2千石の垂井城主となった。大谷吉継と西軍に属し、伏見城の戦い、大垣城の譲渡交渉などに活躍し決戦当日には病気の吉継に変わり、太谷隊を指揮した。小早川秀秋が西軍を裏切り太谷隊へ攻めかかると、為広は大長刀を振り回し、小早川隊を再三追い返しましたが力尽き、山内の家臣樫井太兵衛に討たれた。敗軍の中、辞世の歌を大谷吉継に送っている。
≪名の為に 捨つる命は おしからじ ついにとまらぬ 浮き世と思えば≫ (垂井町教育委員会)
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