群馬県高崎市 達磨寺
Darumaji,Takasaki city,Gunma
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Jan.2016 柚原君子
少林山達磨寺
所在地:群馬県高崎市鼻高町296
少林山達磨寺は水戸黄門が帰依した中国の帰化僧越禅師が17世紀に開山した古刹です。
山の上にあるので登って行くのが大変です。さらに本堂への石段も相当数あります。
本堂への石段を息を切らせて登りきると、なんとも愛嬌のある達磨たちが本堂の脇にひしめいています。選挙に使われたのでしょうか、商売繁盛を願ってお役が終わったのでしょうか、働き終えた達磨が休んでいる感じです。隣の達磨と窮屈そうにしているもの、あるものは嬉しそうに、あるものは憮然として、全体を見るとなんとも愛嬌があって本堂におまいりする前に笑いをさそわれます。
達磨は室町期に中国より伝わった不倒翁(ふとうおう)と呼ばれる玩具で、日本での名称は起き上がり小法師です。はじめは宗教的な色も縁起物でもなくただの子どもの玩具でしたが、この達磨と九年間座禅を組み続けた達磨大師の逸話が結びついてヒゲのある達磨さんとなって行きます。
達磨大師を崇める民間信仰・黄檗宗が江戸時代初期に明国より伝わった影響が大きいとされています。倒れても起き上がる不倒翁(ふとうおう)はやがて縁起物として進化します。縁起物としての達磨人形の普及に役割を果たしたのが、このお寺、黄檗宗・少林山達磨寺の東嶽和尚です。
浅間山の大噴火がおきて天明の大飢饉となり餓死者がたくさん出たとき、その惨状を見かねた東嶽和尚が寺に伝わる「一筆だるまの御札」を手本に木型を作り、困窮する農民の副業として張り子達磨の作り方を教えたことが始まりだそうです。そして達磨寺の七草の縁日に縁起物として売り出したのが現在に伝わる「ダルマ市」の始まりとされています。
達磨そのものは全国にたくさんあるそうですが、高崎の達磨は積極的な営業活動やアイディアが活かされて、当初は養蚕農家向けに達磨の肩の辺りに「蚕大当たり」などと書いて寺社の縁日や初市などで売るとともに、全国に行商にも出たそうです。富山県の薬売りと似ていて売り切れるまで故郷には帰らなかったそうです。そして養蚕業が下火になると「商売繁盛」と書き替えて売りに出たそうです。また、誰のアイディアかは不明だそうですが、大願成就の暁には達磨に片目をいれる、という仕掛けをして大当たりとなり高崎の達磨は全国一の立場を不動のものにしています。
達磨寺内には茅葺の観音堂や、高崎市指定史跡となっているドイツの世界的建築家ブルーノ・タウト氏が昭和9年8月から11年10月までの2年3ヶ月住んだ家が「洗心亭」として保存されています。「洗心亭」は寺内の東側にあり、六畳と四畳半しかない日本家屋です。日本におけるタウトの著書の大部分はここで執筆されています。
また寺内の散策地は広く裏山には妙義山を見渡せる素晴らしい景色が開けています。
桜の季節、妙義山の写真を町の電線なしに撮影するには絶好の場所!
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