広島県福山市 神辺
Kannabe,Fukuyama City,Hiroshima
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November 28, 2020 野崎順次 source movie
広島県福山市神辺町川南と川北
神辺の街並み
パンフレットと現地説明板
JR神辺駅で降りて、川南から川北へ近世山陽道(西国海道)をたどる。海鼠壁、格子の古民家がちらほら。漆喰の妻壁に瓦の庇がある。これが付庇かなあ。
光蓮寺あたり
非常に印象的な菅波歯科医院、ここまで来て、10年前にも来たことを思い出した。
ここから右折れして川北に入る。
神辺町川北528
県重文 神辺本陣
江戸時代に参勤交代の大名が休泊した施設。神辺町は旧山陽道の宿場町で,三日市の尾道屋菅波家(西本陣)と七日市の本荘屋菅波家(東本陣)がありました。在,神辺本陣といわれているものは西本陣で,黒塗りの土塀に囲まれ,重厚なたたずまいを見せています。内部には御成の間,二の間といった部屋が続き,札の間には休泊した大名の関札が多数掛けられています。ここは筑前黒田家専用の本陣で,一般には黒田家以外の本陣を東本陣が勤めたといわれています。1969年に広島県の重要文化財に指定されました。建物は当時の姿のまま250年間伝えています。ちなみに東本陣は明治期に解体され,面影はほとんど残っていません。
(「福山観光・魅力サイト」より)
本陣の向かいにも立派な商家がある。ここらは福山藩御茶屋屋敷跡である。
突き当りを左折してさらに右折する。
旧山陽道神邊驛跡「太閤屋敷跡」の石柱があり、その先に天宝一(創業1910年)という酒蔵がある。
さらに少し進むと、小早川文吾旧宅跡、神辺東本陣跡、北條霞亭旧宅跡を経て、「特別史跡 廉塾・菅茶山旧宅」に至る。
帰途、同じ道を神辺駅まで戻る。
May 2010 撮影/文:瀧山幸伸 source movie
神辺本陣と街並
(Kannabe Honjin, Fukuyama, Hiroshima)
広島県福山市神辺町川北527
広島県重要文化財
山陽道 神辺本陣(西本陣)
神辺(かんなべ)は中世から近世初期にかけては、神辺城を中心とする城下町であったが、元和5年(1619)に水野勝成が福山に築城して移って以後は、江戸幕府の参勤交代の制による交通路の整備などにより宿場町として息を吹き返した。
近世の山陽道(西国街道)は、正式には中国路といわれ46宿から成り、神辺宿は備中高屋宿と備後国今津宿の間の宿として発展した。
宿場の中心となったのは現在の川北・川南の地域で、そこには三日市・七日市・十日市などが営まれており、人馬がしげく往来し、繁盛した。
大名の宿泊する本陣は、川北の三日市の尾道屋菅波(すがなみ)家(西本陣)と七日市の本荘屋菅波家(東本陣)が担当した。
尾道屋は、専ら筑前福岡黒田家の本陣を務め、本荘屋は、一般の本陣を務めたとされる。
本荘屋の建物は、明治期に入りほとんど解体された。
JR福塩線神辺駅を降りて、花を愛でつつ、東に100mも歩くと旧山陽道(西国街道)である。
漆喰塗りの商家や木造モルタル塗りの洋館が続く。
菅波歯科医院の漆喰壁や虫籠窓が面白い。
現役の建物らしいが、足踏みドリルで虫歯を削られるのではと思ってしまう。
さらに歩く。道に沿ってカーブする外壁も珍しい。大正/昭和初期らしき洋館は元中国銀行とのこと。
現存する「神辺本陣」は、尾道屋のものである。
安政2年(1855)の建築である正門を中心に瓦葺きの塀を周囲にめぐらし、景観と整えている。
近世交通の状況を示すものとして、本屋(ほんおく)など7棟が県重要文化財に、屋敷全体が県史跡に指定されている。
正門を入る。
塀の瓦には筑前福岡黒田家の紋が使われている。
本屋(ほんおく)は延享5年(1748)に建てられた。
平屋建て、本瓦葺きで、御成(おなり)の間・上段の間・三の間・札の間・玄関など往時の面影をよく伝えている。
札の間には、止宿時に門前に掲げた木札が多数保存されている。
広島県立歴史博物館(福山駅前)で神辺本陣の模型があった。
参考資料
広島県「ひろしま文化大百科」HP
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