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広島県福山市 明王院

Myooin,Fukuyama city,Hiroshima

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福山市草戸町1473 明王院五重塔 国宝 近世以前/寺院 室町前期 貞和4(1348) 三間五重塔婆、本瓦葺 19130414 19530331

福山市草戸町1473 明王院本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 元応3(1321) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 厨子1基、棟札3枚 19000407 19640526


Aug.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.20撮影 

鞆からの帰り道、バスを途中下車して明王院に行きました。

草戸大橋のバス停から徒歩で10分ほどです。

境内風景

本堂(国宝)

元応3(1321)年の建築

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

五重塔(国宝)

貞和4(1348)年の建築

三間五重塔婆、本瓦葺


May 2010 撮影/文:瀧山幸伸 source movie

A camera

B camera


Sep.2009 撮影/文 野崎順次

広島県福山市草戸町1473

真言宗大覚寺派

中道山 明王院

(Myooin Temple, Fukuyama, Hiroshima Pref.)

明王院(みょうおういん)は広島県福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院である。

芦田川に面した愛宕山の麓にあり草戸稲荷神社が隣接している。

寺伝では明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に空海(弘法大師)によって創建されたとするが、伝承の域を出ない。

ただし、当寺の本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり、寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定される。

本堂と五重塔(共に国宝)は瀬戸内を代表する寺院建築である。

明王院の前の芦田川の中州一帯は、昭和になって初めて存在が確認された中世の幻の町「草戸千軒町」遺跡である。

鎌倉時代から室町時代にかけておよそ300年間、明王院門前町として、また大陸交易の市場町として栄えた。

しかし、芦田川の堆積作用により江戸時代初期にはすっかり寂れ、大洪水により一夜のうちに埋没した。

主な文化財(*印は写真あり)

国宝 明王院本堂(鎌倉時代末期)* 

明王院五重塔(南北朝時代)*

重文 木造十一面観世音菩薩立像(平安時代前期)秘仏

県重文 明王院山門*

 明王院書院*

 明王院庫裡(江戸時代初期)*

市重文 明王院鐘楼*

 墓石群*

芦田川のほとり、わかりにくい説明板を読むのをあきらめ、石段を登ると、広島県重要文化財に指定された山門、書院、庫裏と続く。

国宝の本堂と五重塔が並ぶ。

国宝 本堂

桁行、梁間ともに11.812m、一重、入母屋造向拝付、本瓦葺。本堂平面は前面2間を外陣とし、後部を内陣とする典型的な本堂となっている。

様式は全体的に和様の姿をとりながらも、その木割や細部には大幅に唐様が採用されている折衷様の最も古いもので、外陣の輪だるき天井は極めて珍しい手法である。

尾道の浄土寺本堂(国宝)とともに内海地域で最も古い建物として貴重なものである。

厨子は春日厨子で扉の内側に蓮を描いた美しいもので、木造十一面観音立像(重文)を収める。

(福山市ホームページより)

国宝 五重塔

方三間(4.363m)五重塔婆、本瓦葺、高さ29.14m。

この塔は貞和4年(1348)住持頼秀のとき、一文勧進の小資を積んで造られたものである(伏鉢の銘)。

和様の形態をよく整え、手法も雄大で南北朝時代を代表する建築で、全国屈指の古さを誇っている。

内部は精麗な壁画と文様があり、特に四方の壁画に描かれた真言八祖行状図、四天柱の金剛界三十七尊、長押【なげし】・天井などには唐草文・花鳥・飛天などが描かれ、当初の彩色をこれほどよく残した塔は他に類例がなく注目されている。

なお、表に五大虚空蔵菩薩、裏に兜率【とそつ】浄土を描いた仏壇の来迎図は、明治年間皇室に移され、現在東京国立博物館に保管されている。

(福山市ホームページより)

県重文の鐘楼、そして、五重塔裏側の石仏から愛宕神社への石段を観る。

福山市重要文化財 墓石群

昭和5年、芦田川の改修工事中に作業員によって発見された五輪塔や宝篋印塔の部分部分の石が安置されている。草戸千軒町の遺物である。

さらに境内を歩いていると、太い木に生えたキノコや、新しい六地蔵がある。

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