広島県福山市 高諸神社
(Tamamorojinja Shrine, Fukuyama City, Hiroshima Pref.)
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式内社、非常に大規模の磐境 | |
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August 12, 2018 野崎順次 source movie
広島県福山市今津町
『福山史科』によると、白鳳5年、沼隈郡今津村の海岸に難破船が漂着した。乗人は3人で、言葉が通じない。村長の田盛が筆談すると、新羅国王だという。田盛は彼を厚く遇し、朝廷にこれを報じた。 しかし、朝廷から返答のないまま、翌年に王が没し、前の山に葬った。 翌年、田盛の夢に王が現れ、自分は須佐之男命だと言った。そこで田盛は王を祀った。これが剣大明神(高諸神社)となった。
(式内社調査報告より)
JR松永駅より歩く。国道2号線から街道らしい道筋に入ると、山陽道だった。
市史跡 今津本陣跡
高諸神社、北向きである。北の鳥居から入る。
小さな高台の上に本殿がある。周囲は石垣である。田盛神社というのがある。田盛は前述説明に出てくる村長さん。
下に降りて、東側の末社を見る。
高諸神社の磐境
本殿東南下付近から東へまたは西北へかけて無数の石が散在し、特に東南下から北東にかけての磐境は驚目に値するほど立派なものである。ただ惜しむらくは、現在の社地石垣が、たぶん江戸初期あたりで構築されたものと考えられるが、この四周の石垣を作るに当たって、磐境の石を割って石垣に利用したものと考えられる。おそらくその当時は、これを磐境として神聖なものとは何人も考えなかったことから、平気でこの磐境を崩し割って石垣材に利用したものであろう。そのために相当多くの磐境の石が取り去られ、割石として利用されたことが惜しまれる。したがって、もしこのことがなければ、当社の磐境は大変なものであり、全国第一の磐境としての景観が見られたことと考えられる。
この磐境は特に南東部のものが傑出していて、高さ二メートル前後の立石や横石が無数に用いられ、磐境としての無技巧の技巧といった神秘感にあふれた手法のものが折り重なるように積まれ、時には洞窟式の部分もあり、一般庭園の石組と異なって、極度な豪健性の中に神秘性があり、神聖な座を設けるための石組として特色のある技法が用いられている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」高諸神社磐境より)
東側
南側
西側
北側
本殿の高台から磐境を見下ろす。南西、南東、東。
福山市天然記念物 高諸神社のハク
ハクは別名イブキ,イブキビャクシンともいわれ,宮城県以南の海岸地方に多く自生する。庭園樹としても広く植栽されているが,大きいものは極めて稀である。このハクは目通り周囲3.7mで,地上2mで分岐し樹高約10mであり,県内有数の巨木である。またこのハクは針葉がきわめて多く,栄養などの影響も考えられるが,あるいは針葉の多い園芸品種タチビャクシンの祖先の系統が混ざっているものとも解され,学術上からも興味ある樹木である」
(現地説明板)
山陽道をさらに西へ
陰陽石神社、拝殿に耳の遠いお爺さんがいて、中に入れとしぐさをするので、のこのこ入って写真を撮らしてもらった。ご神体の陰陽石はどこにあるか分からない。
神霊水、この水中にご神体があるとの話もあるが、分からない。
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