広島県広島市東区 國前寺
(Kokuzenji Temple, Higashiku, Hiroshima City, Hiroshima)
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広島市東区山根町32-1 國前寺 本堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文11(1671) 桁行24.0m、梁間14.0m、二重、寄棟造、唐破風造向拝一間、背面仏間突出 桁行5.3m、梁間9.8m、一重、寄棟造、本瓦葺 棟札1枚 19931209
広島市東区山根町32-1 國前寺 庫裏 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文11(1671)頃 桁行17.7m、梁間13.2m、一重、切妻造、妻入、東側面庇付、本瓦葺、正面庇、本堂間廊下及び正面東方土塀附属 19931209
Apr.30,2013 瀧山幸伸 source movie
A camera
B camera
広島県広島市東区山根町32−1
自昌山 國前寺
撮影日: 2012年3月18日
國前寺は暦応3(1340)年、安芸の国を訪れた宗祖日蓮の弟子、日像が尾長山の麓で草庵を営んでいた真言の僧、暁忍と出会い、この時日像に師事した暁忍坊によって開かれた。はじめ、暁忍寺と称したが、江戸初期の明暦2(1656)年に二代藩主、浅野光晟とその夫人自昌院の帰依により、菩堤寺となり、自昌山國前寺と改めた。
本堂と庫裏は国指定重要文化財で、いずれも広島藩の日蓮宗寺院の中でも大規模であり、藩を代表する近世の社寺建築として価値が高い。山門および参道を構成する境内地は、市指定重要有形文化財に指定されている。また、この寺には三次市に伝わる化物語の主人公、妖怪退治で有名な稲生武太夫が妖怪の大将からもらったばけもの木槌が伝わっている。1993年には市により現存する被爆建物リストに登録された。
現地説明板
市重文 國前寺山門及び参道を構成する境内地、1,591㎡、一棟及び境内地(附)棟札2枚
山門と本堂・庫裏間の境内地は、江戸時代の様子をよくとどめており、建造物と一体をなして価値を形成していることから、たいへん貴重なものと言える。
山門 江戸後期 天保十一年(1840)
桁行9.00m、梁間5.45m、三間一戸二重門、入母造、本瓦葺
この山門は、西日本の日蓮宗寺院を代表する建物であり、広島市に現存する近世寺社建築の門の中では最大のものとされる。残されていた2枚の棟札から、天保11年(1840)に建築されたことが明らかな点でも価値があり、國前寺の寺観を整える意味でも重要な建物である。
石燈籠 江戸中期 寛文十一年(1671)
本堂前に、本堂・庫裏と同じ時期の銘がある高さ2.32mのどっしりとした4基の石燈籠がある。
鐘楼 明治39年(1906)
それまでに存在した建物を忠実に再現したと言われる入母屋造、桟瓦葺、袴腰付。
国重文 本堂 江戸中期 寛文十一年(1671)
桁行24.0m、梁間14.0m、二重、寄棟造、唐破風造向拝一間、背面仏間突出 桁行5.3m、梁間9.8m、一重、寄棟造、本瓦葺
国重文 庫裡 江戸中期 寛文十一年頃(1671頃)
桁行17.7m、梁間13.2m、一重、切妻造、妻入、東側面庇付、本瓦葺、正面庇、本堂間廊下及び正面東方土塀附属
その他境内
参考資料
財団法人広島市未来都市創造財団HP
広島県観光ナビHP
国指定文化財等データベース
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