広島県呉市 入船山記念館
(Kure Memorial Irihuneyama Memorial Hall, Kure City, Hiroshima Pref)
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呉市幸町1-1 旧呉鎮守府司令官官舎(呉市入船山記念館) 洋館 重文 近代/住居 明治 明治38(1905) 木造、建築面積223.0㎡、一階建、スレート葺 19981225
呉市幸町1-1 旧呉鎮守府司令官官舎(呉市入船山記念館) 和館 重文 近代/住居 明治 明治38(1905) 木造、建築面積304.1㎡、一階建、桟瓦葺 19981225
Apr.30,2013 瀧山幸伸 source movie
B camera
旧東郷家住宅離れ
May 2012 野崎順次
広島県呉市幸町4−6
2012年4月28日
旧呉鎮守府司令長官官舎(国重文)を中心に郷土館や歴史民俗資料館などからなり、呉の郷土資料や大日本帝国海軍資料、金唐革紙関連資料を展示している。
旧呉鎮守府司令長官官舎は、東側の洋館部と西側の和館部からなり、当時の呉海軍経理部建築科長であった桜井小太郎(1870-1953)が設計した。若くしてイギリスに渡り研鑽を積んだ建築家であり、この仕事には最適任であっただろう。
呉鎮守府について
1886年4月22日、「海軍条例」において全国に五つの海軍区を定め、各区の軍港に鎮守府を置くこととし、5月4日に第二海軍区(範囲「紀伊国南牟婁郡界ヨリ石見長門国界ニ至リ筑前遠賀宗像郡ヨリ九州東海岸ニ沿ヒ日向大隅国界ニ至ルノ海岸海面及四国ノ海面並内海」)を所管する鎮守府は呉港に置くことが定められた。瀬戸内海を担当区域とするため、海軍の実質的戦闘部隊の中心的存在であった。
パンフレットと入口
国登文 旧東郷家住宅離れ
東郷平八郎が、明治二十三年(1890)からの約1年7か月間、 呉在任中に住んでいた家の離れ座敷である。この建物は平屋建瓦葺きの木造の家で、宮原5丁目の正円寺の山手より、現在はこの場所へ移築・復元された。
市文 旧呉海軍工廠(こうしょう)塔時計
大正十年(1921)年6月、旧呉海軍工廠造機部屋上に設置され、終戦まで、呉工廠とともにその歴史の時を刻んできた。高さ約10mで、本体は一辺2.4mの立方体、四方には1.5mの文字板があり、電動親子式衝動時計としては、国産で最も古いもののひとつである。
旧高烏砲台火薬庫(1号館) 明治三十五年(1902)
陸軍が音戸の瀬戸に近い休山に建設した高烏砲台の跡地から移築・復元したもの。
国重文 旧呉鎮守府司令長官官舎洋館 明治三十八年(1905)
木造、建築面積223.0㎡、一階建、スレート葺
英国風半木骨造り(ハーフティンバー)で仕上げられ、屋根は天然粘板岩(スレート)の魚鱗葺き、玄関のステンドグラスは英国製である。
洋館内部
玄関から広間,廊下にかけての腰壁と応接室及び客室の壁並びに食堂の壁と天井には,日本で数箇所にしか現存しない金唐紙が使用されている。1995年の修復ではその総てが復元・修復された。また玄関から裏手の和館にかけての廊下の壁は淡いオレンジ色の「曙漆喰」となっている。室内の家具・ストーブなども忠実に再現されており,格調高い雰囲気に圧倒される。
ホール、玄関ロビー、応接所
客室
食堂
国重文 旧呉鎮守府司令長官官舎和館 明治三十八年(1905)
木造、建築面積304.1㎡、一階建、桟瓦葺。家族の居所として使われた。
和館内部
畳廊下を境として南北に分かれ南側に座敷2部屋,北側に内玄関,炊事場,台所,茶の間,使用人部屋があり奥に座敷4部屋が田の字型に配されさらに離れ座敷があり,全部で9部屋ある。座敷には床の間や違い棚,付け書院,押入れなどが設けられている。壁は土壁で聚楽仕上げまたは漆喰仕上げで錆色・鶯色,土色の3色が使われている。
旧官舎の回り
海上自衛隊呉地方総監部。旧呉鎮守府庁舎は、現在も海上自衛隊呉地方総監部として使用されている。煉瓦と御影石造りで明治四十年(1906))に竣工。
入船山公園市民広場の藤棚
彫刻のある道をたどってJR呉駅へ
参考資料
建築マップ
呉観光協会HP
建造物文化遺産を訪ねてHP
ウィキペディア「入船山記念館」
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