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広島県呉市 桂濱神社

(Katsurahamajinja Shrine, Kure City, Hiroshima)

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呉市倉橋町423 桂濱神社本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 文明12(1480) 三間社流造、こけら葺 宮殿3基、棟札1枚 19820611


Apr.30,2013 瀧山幸伸 source movie

A camera

B camera

ドック跡


May 2012 野崎順次 

広島県呉市倉橋町字前宮の浦

撮影日: 2012年4月28日

神社の創建の年代は詳らかでないが、天平八年(736)遣新羅使大石衰麿卿の一行が下向の時倉橋の海上に泊戦し詠まれた歌の一首(万葉集十五)

「わがいのち長門の島の小松原幾代をへてか神さびわたる」

これによっても当時既にこの地に社は鎮座していたと思われる。再修の棟札によれば、領主・平朝臣弘重・貞光、檀那・平朝臣民部丞實時によって文明十二年(1480)陰暦六月二日に再修された。

もとは、海人を守る祭神宗像三女神(田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命)が祀られていたが、室町以降、宇佐八幡宮の神霊を勧請し、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀る。

桂浜神社は昔八幡宮と呼ばれていたが、明治4年より桂浜神社と改号。桂浜神社社殿の裏手にある本殿は、国の重要文化財に指定されている。本殿は珍しい建築様式「前室付き三間社流れ造り」で、床板は船板が使用され、床底が高いのが特徴。拝殿には、1681年の絵馬をはじめ、数多くの絵馬が残っている。

現地説明板とアプローチ

拝殿外部、本殿に左右から回り込む。

国重文 桂濱神社本殿 室町後期 文明十二年(1480)

本殿の建築に関する資料としては、根太残片に書かれた棟札に、文明十二年再興の墨書があり、また身舎(もや)の柱にも永正八年(1511)に参籠した僧の墨書がある。本殿は、桁行5.5m、梁間5.1mの前室付き三間社流造りで、屋根はこけら葺きである。総体に木割が細く、柱は身舎、庇とも円柱とし、組物は拳鼻付き平三斗、隅連3斗で中備はない。身舎の正面の、中央間は板扉、脇間は板壁となっている。屋根まわりの庇は両端を海老虹梁でつなぎ、軒は繁垂木で正面を2軒、背面を1軒としている。全体に木細く、簡素な造りであり、意匠的に優れている。

本殿、向かって右側

本殿、向かって左側

本殿背面

拝殿に戻って、前面と内部の絵馬など

県史跡 万葉集遺跡長門島松原(桂濱神社境内)

万葉集巻十五に,天平八年(736)遣新羅使が安芸の国長門島船泊に停泊した時の歌,舟出の歌が八首よまれている。倉橋島は同地の八剣神社の文明十二年(1480)の棟札に長門島と記され,長門崎,長門口の地名もあることから長門島に当るとみられる。倉橋の本浦は船泊に適し,推古天皇の代から奈良時代にかけて幾たびとなく外国に使する船を造った所と伝え,江戸時代に至るまで造船で聞こえた。松原がつづく桂濱神社の境内は歌意にかなう景勝の地で,今も昔ながらの風趣を保っている。

夏は海水客でにぎわう砂浜

桂浜ドック跡

日本最古といわれる乾ドックの跡である。倉橋島では江戸時代の元文、寛保年間頃に、天然の入江を改良した船渠(ドック)が考案された。明治期には蒸気船の普及や船舶の大型化に伴い、1882年(明治15年)に現在のものに改造された。

ここ倉橋で建造され、厳島神社の管絃祭で使われた古い御座船三隻を保存している。旧暦6月17日に厳島神社で執り行われる管絃祭で使用される御座船は、倉橋島から献納される習わしがある。

参考資料

国指定文化財等データベース

広島文化大百科HPHP

呉観光HP

広島県の史跡

三十糎艦船連合呉支部HP

 

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