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広島県三原市 宗光寺

(Sokoji Temple, Mihara City, Hiroshima Pref)

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三原市本町3-11-1 宗光寺山門 重文 近世以前/寺院 桃山 天正10(1582)移築 四脚門、切妻造、本瓦葺 19531114


May 1,2013 瀧山幸伸 source movie

A camera

B camera


May 2012 野崎順次 source movie

広島県三原市本町3−11−1

泰雲山 宗光寺

撮影日: 2012年4月28日

1577年小早川隆景が本郷に開創し、その後1582年隆景が築城した三原城の城下の西側を守る砦も兼ねて、この地に移転した。山門は、三原城が築城されるまで隆景の居城であった本郷の新高山城の城門を移築したものである。

その後、三原城主となった福島正之・浅野忠長の菩提寺となっている。福島正之は広島藩主福島正則の養子で1600年三原城主となり、その後、城主となった浅野氏の第二代が忠長である。

JR三原駅の北西に出ると西国街道が走る。途中でわざと北の細い道に入り、くねくねと上ったり下りたり、子猫に凝視されたりして、宗光寺山門下に出た。

国重文 宗光寺山門 桃山 天正十年(1582)移築

四脚門、切妻造り、本瓦葺き。桃山風の重厚で豪快な構えの山門である。

本堂、庫裡、鐘楼など。三原の町が展望する。

境内には様々な石造物がある。

市重文 七層石塔婆 鎌倉時後期 永仁年間(1293〜1299年)

花崗岩、高さ 250.3㎝。大工「心阿」の銘が残る鎌倉時代の石塔。斉藤五、斉藤六(「平家物語」に出てくる斉藤実盛の息子)のいずれかの供養塔だと伝えられる。

それから、

市史跡 浅野忠長の墓

浅野忠長(1592〜1660年)は三原浅野家第二代、甲斐守と称す。忠長は慶長十九年(1614)の大坂冬の陣、翌年の夏の陣ともに参陣しました。元和八年(1622)頼兼新開、正保元年(1644)横山新開を拓く。寛永六年(1629)、同十四年(1637)には糸碕八幡宮を修理した。

福島正之の墓

石造宝篋印塔(越智式) 安土桃山時代〈室町時代後期の様式〉

高さ 177cm、基礎と塔身の間に方形の受台をいれるのは、この地方の特色(越智式)。

福島正之(1579〜1601年)は「賎ヶ岳の七本槍」の一人である福島正則の養子(正則の姉の子)である。正之は関ヶ原合戦においても軍功を挙げ、合戦後に正則が広島に入封した際には三原城に正之を配した。ところが、後に正則によって正之は幽閉され殺害されたようである。時に正之二十三歳。哀しい逸話の残るお墓である。法名:宗光寺殿天英公大禅定門

三原城跡

参考資料

三原観光協会HP

もののふ紀行HP

日本の塔HP

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