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広島県三次市 矢谷古墳

Yadanikofun,Miyoshi city,Hiroshima

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Apr.2,2019 瀧山幸伸 source movie

史跡

矢谷墳丘墓(やだにふんきゅうぼ)は、広島県三次市東酒屋町にある弥生墳丘墓。形状は四隅突出型墳丘墓。国の史跡に指定され(指定名称は「矢谷古墳」)、出土品は国の重要文化財に指定されている。

「矢谷古墳(やだにこふん)」とも称されるが、厳密には古墳ではなく弥生墳丘墓であるため、本項では「矢谷墳丘墓」の名称で解説する。

概要

広島県北部、三次盆地南縁の低丘陵上に築造された墳丘墓である[1]。一帯には縄文時代から古墳時代にかけての松ヶ迫遺跡群(松ヶ迫矢谷遺跡)が分布し、本墳墓もそれに包含される。1977-1979年(昭和52-54年)の三次工業団地の造成工事の際に発見され、発掘調査が実施されている。

墳形は四隅突出形であるが、東辺にくびれ部があり、全体としては前方後方形のような形状をとる。墳丘長は18.5メートル、高さは1.2メートル。墳丘斜面には貼石が、墳丘裾には列石が巡らされるほか、墳丘周囲には幅2メートルの周溝が巡らされる。主体部の埋葬施設は土壙・木棺・石棺の計11基。中心的な施設は墳丘北寄りの木棺と認められ、碧玉管玉・ガラス小玉などが検出されている。そのほかの出土品として、周溝から出土した特殊器台・特殊壺があり、その土には吉備南部地方と同じものが使用されている。

この矢谷墳丘墓は、弥生時代終末期から古墳時代初頭頃の築造とされる。四隅突出型墳丘墓は出雲地方を中心に日本海沿岸に分布する形式であるが、特殊器台・特殊壺は吉備南部地方を中心に分布する供献土器であり、本墳墓は三次地域を介した当時の山陰・山陽地方の交流を物語る墳墓になる。なお墳丘西側には、方形区画墓2基および古墳時代の須恵器窯跡も認められている。そのうち周溝墓から出土したガラス小玉にはナトロン(蒸発塩)が含まれており、古代ローマ帝国産として注目される。

墳墓域は1979年(昭和54年)に方形区画墓2基・須恵器窯跡と合わせて「矢谷古墳」として国の史跡に指定されたほか、出土品は1994年(平成6年)に国の重要文化財に指定されている。 (wikipedia)

                             

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