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広島県尾道市 浄土寺 

Jodoji, Onomichi city,Hiroshima

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尾道市東久保町20-28 浄土寺 方丈 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄3(1690) 桁行16.7m、梁間13.1m、一重、寄棟造、本瓦葺、背面張出附属、桟瓦葺 棟札1枚 19940712

尾道市東久保町20-28 浄土寺 唐門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 正徳2(1712)頃 桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺 19940712

尾道市東久保町20-28 浄土寺 庫裏及び客殿 重文 近世以前/寺院 江戸中期 享保4(1719) "庫裏 桁行15.9m、梁間12.0m、一重、切妻造、妻入、玄関及び背面張出附属、本瓦葺 客殿 客室部 桁行18.0m、梁間7.0m、寄棟造、玄関附属、西面突出部 桁行5.0m、梁間7.2m、切妻造、本瓦葺、南面張出附属、居室部 桁行12.8m、梁間4.0m、北面茶室附属、桟瓦葺、西面突出部 桁行5.9m、梁間4.2m、切妻造、本瓦葺、一部二階、切妻造、桟瓦葺" 棟札1枚、旧食堂厨子及び須弥壇1具 19940712

尾道市東久保町20-28 浄土寺 宝庫 重文 近世以前/寺院 江戸後期 宝暦9(1759) 土蔵造、桁行6.0m、梁間3.9m、二階建、切妻造、本瓦葺 19940712

尾道市東久保町20-28 浄土寺 裏門 重文 近世以前/寺院 江戸後期 江戸後期 長屋門、桁行14.9m、梁間5.0m、切妻造、本瓦葺 19940712

尾道市東久保町20-28 浄土寺 露滴庵 重文 近世以前/住宅 江戸中期 江戸中期 三畳台目茶室、水屋及び四畳、四畳半の勝手よりなる、一重、入母屋造、茅葺 中門1棟 19531114

尾道市東久保町20-28 浄土寺阿弥陀堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 貞和元(1345) 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19130414

尾道市東久保町20-28 浄土寺山門 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付 棟札1枚 19531114

尾道市東久保町20-28 浄土寺多宝塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 元徳元(1319) 三間多宝塔、本瓦葺 相輪内納入経巻類 19010327 19530331

尾道市東久保町20-28 浄土寺納経塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 弘安元(1278) 石造宝塔、基壇付 弘安元年戊寅十月十四日の刻銘がある 19530829

尾道市東久保町20-28 浄土寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 室町前期 石造宝篋印塔 19610323

尾道市東久保町20-28 浄土寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 貞和4(1348) 石造宝篋印塔 貞和四年戊子十月一日の刻銘がある 19530829

尾道市東久保町20-28 浄土寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 嘉暦2(1327) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 厨子1基、棟札2枚、境内図2枚 19130414 19530331


December 30, 2019 野崎順次 source movie

広島県尾道市東久保町20-28
真言宗泉湧寺派
大本山 浄土寺


推古天皇24年(616年)、聖徳太子が開いたとも伝えられる。この寺が文書等にあらわれるのは鎌倉時代中ごろからのことで、鎌倉時代の初めには堂塔を守る人さえないという惨状だったが、鎌倉時代後期に真言律宗系の僧で叡尊の弟子・定証によって中興された。その後、正中2年(1325年)に焼失したが、尾道の有徳人道蓮・道性夫妻によって復興された。現存する国宝の本堂・多宝塔、重要文化財の阿弥陀堂はこの時再興された建物である。
南北朝時代に入ると、各勢力が浄土寺を味方につけようと外護に努めた。元弘の乱の際後醍醐天皇は、住職に綸旨を下して祈祷を命じるとともに、因島の地頭職を寄進した。足利尊氏は建武3年(1336年)2月、九州に落ち延びる際、浄土寺本堂で戦勢挽回を祈願し、幾つかの地頭職を寄進。更に九州での戦いに勝利再起した同5月5日に再び浄土寺本堂に参籠して、1万巻の観音経を読経し、足利直義や道謙法師と共に観音経にちなんだ33首の和歌を詠じて戦勝を祈願している。尊氏はその後、備後国の利生塔を浄土寺境内(元尾道市立筒湯小学校校庭)に建立し、寺では今も足利氏の家紋「二つ引門」を寺紋として使い続けている。今川了俊も九州へ下る際、数か月浄土寺に滞在し、軍備を整えたという。
室町時代も下ると、足利氏と関係の深かった浄土寺の寺運も衰えていった。近世に入ると落ち着きを取り戻し、泉涌寺派に属しながら尾道在住の豪商から外護を受けるようになり、庶民の信仰を中心とする寺院へ変貌していく。当地の豪商らによって、元禄3年(1690年)、方丈(重要文化財)、正徳年間には護摩堂・経堂、享保4年(1719年)、食堂(現在の庫裏及び客殿、重要文化財)が建立された。
山門を入ると正面に本堂、その右手に阿弥陀堂と多宝塔が建つ。これらの中世仏教建築群に対し、境内西側には方丈、庫裏及び客殿など、僧の生活空間である近世建築群があり、庭園や茶室(露滴庵)もある。近世以前の寺院景観を良好に残す境内地は、本堂とともに国宝に指定されている。
(ウィキペディア「浄土寺(尾道市)」より)
          


国重文 山門 室町前期
四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付 附 棟札1枚
       


国宝 浄土寺本堂 鎌倉後期 嘉暦二年(1327)
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 附 厨子1基、棟札2枚、境内図2枚
本堂は正中二年の火災後貞和元年に再建された建物で和様を基調として唐様、天竺様を混用したいわゆる折衷様式に属し、瀬戸内海沿岸諸地方に存するこの種建築の代表的なものである。又年代の確証あるものとしては最古の例に属する。
           


国重文 方丈 江戸中期 元禄3年(1690)
桁行16.7m、梁間13.1m、一重、寄棟造、本瓦葺、背面張出附属、桟瓦葺 附 棟札1枚
国重文 唐門 江戸中期 正徳二年(1712)頃
桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺
     


本堂、方丈、客殿。唐門に囲まれた中庭
     


国名勝 浄土寺庭園 江戸時代末期 枯山水
さて本庭は、書院裏から、上部の茶室露滴庵に登る山畔に作庭されたもので、幸いにその設計図が本寺に所蔵されていて、それによると、
文化三丙寅正月中旬終
行山頭築 五天竺無想 池西定行流 水之形也
-中略-
阿州徳島隠士 雪舟十三代之孫 長谷川千柳築之 印 印
とあって、徳島の人で、雪舟十三代を名乗る長谷川千柳という庭師が、文化三年(1806)正月中旬に作庭したことが明らかである。
本庭は面積約三百坪あって、方丈の西、書院の北方にあたり、山畔を利用して作庭された枯山水である。上部に茶室がある関係から、方丈や書院から飛石を打ち中央のところを上部に登るようにしてある。そして山畔全体に多くの小石を組み、下部に護岸風な石組もあり、ソテツや、ツバキ、サツキ、カエデの類の植栽が繁茂していて、いかにも末期的な庭である。
-中略-
さらに前期の鎌倉建築としての本堂、阿弥陀堂、多宝塔の外に、石造美術として、標柱石、五輪塔、宝篋印塔があり、いずれも鎌倉末期の作品で傑出している。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」浄土寺庭園より)
                                    


国重文 露滴庵 江戸中期
三畳台目茶室、水屋及び四畳、四畳半の勝手よりなる、一重、入母屋造、茅葺 附 中門
    


国重文 庫裡および客殿 江戸中期 享保四年(1719)
庫裏 桁行15.9m、梁間12.0m、一重、切妻造、妻入、玄関及び背面張出附属、本瓦葺 
客殿 客室部 桁行18.0m、梁間7.0m、寄棟造、玄関附属、西面突出部 桁行5.0m、梁間7.2m、切妻造、本瓦葺、南面張出附属、居室部 桁行12.8m、梁間4.0m、北面茶室附属、桟瓦葺、西面突出部 桁行5.9m、梁間4.2m、切妻造、本瓦葺、一部二階、切妻造、桟瓦葺
附 棟札1枚、旧食堂厨子及び須弥壇1具
      


国重文 阿弥陀堂 貞和元年(1345)
桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺
            


国宝 多宝塔 鎌倉後期 元徳元年(1319)
三間多宝塔、本瓦葺 附 相輪内納入経巻類
                       


国重文 宝篋印塔 室町前期 貞和四年(1348)
貞和四年戊子十月一日の刻銘がある
        

五輪塔など
      


国重文 納経塔(宝塔) 鎌倉後期 弘安元年(1278)
石造宝塔、基壇付 弘安元年戊寅十月十四日の刻銘がある
国重文 浄土寺宝篋印塔 室町前期
足利尊氏供養塔
             


その他境内
                    


帰途、尾道駅付近
        


June 22,23, 2014 中山辰夫

尾道市東久保町20−28

宗派:真言宗泉涌寺派大本山 本尊:十一面観音立像(秘仏:国重要文化財)

616年聖徳太子の創建と伝えられる。

1169(嘉応元)年大田庄の倉敷地として、その後北前船の寄港地として重要な役割を果たしてきた”港町”尾道。この街と共に浄土寺の歴史は刻まれていった。

 

尾道絵屏風と浄土寺部分

今は、「観音様の寺」「茶の寺」「文化財の寺」として親しまれている。

  

尾道での社寺めぐりは、JR山陽本線のガードをくぐることから始まる。

        

山門

国重要文化財 南北朝時代 四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付

           

裏門

国重要文化財 江戸時代後期の建築 長屋門、桁行14.9m、梁間5,0m 切妻造、本瓦葺

    

伽藍配置図(引用)

多宝塔・阿弥陀堂・本道が海に面して並ぶ。背後の山は巨岩が露出し、修行場になっている。

 

本堂に向かって右側より巡る

稲荷・稲守大明神・丹生・高野両明神・文殊堂・子安堂・護摩堂・経堂・鐘楼、などの神社、護摩堂、小安堂、経堂、などが立ち並ぶ。

          

多宝塔

国宝・1328(鎌倉時代) 

本殿再建の2年後の1329(元徳元)年に再建され、規模が極めて大きく、下層の一辺は6.6m、総高20.5m

             

多宝塔の一般的な形式であるが、大規模である。

          

肘木、尾垂木側面の貝殻形の模様、頭貫木鼻、双斗、蟇股に折衷様がみられる。

        

阿弥陀堂

国重要文化財 1345(貞元元年)南北朝時代 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

             

本堂

国宝 1132(嘉?2)年 桁行五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

朱・緑・白と色の美しい建物である。こじんまりとしている。外観は貫、桟唐戸の桟など縦横の線が目立つ。福山の明王院本堂と似ている。

     

礼堂(外陣)部分は全部扉で開放的、周りは桟唐戸で桟組み、その間に板をはめ込んだ扉で、扉の軸は飛貫に打った藁座にはめ込まれる。

     

本堂正面を横から見る。柱を頭貫・飛貫で繋ぐ。頭貫には独特の木鼻をつけ、扉は藁座で吊った桟唐戸、中備は間戸束の上に双斗を置く。組物の一覧である。

          

本堂の妻飾

      

礼堂内部

     

以下は特別に写させて頂いた。

礼堂の中は左右の隅に柱が一本ずつ立ち、中央に2本の大紅梁が架かって化粧垂木と組入れ天井を受ける。

           

蟇股

 

紅梁の上の蟇股。花肘木付双斗の上に置き、豪快な空間を華麗に飾る一役を買っている。

方丈

国重要文化財 桁行16m、梁間13m 一重 寄棟造、本瓦葺、

1690(元禄3)年、尾道の豪商である橋本家が施主になって再建された。

方丈の正面には中庭が広がっており、勅使門(唐門)がある。反対側からは露滴庵がみえる。

       

唐門(勅使門)

国重要文化財 建立:1712(正徳2) 一間向かい、唐門、本瓦葺

この門は1719(享保4)年に本堂と阿弥陀堂の間に移築されたが、後に現位置の方丈正面に移された。総ケヤキ造りである。

表玄関横にある。唐門両脇の筋壁(5本の白線入り)も修復中で、勅使をはじめ賓客を迎える最高格の門が完成する。

    

露滴庵と庭園

国重要文化財と名勝 筆跡「露滴庵」は小堀遠州筆

三畳台目の席に水屋と後補の勝手を付属させた茶室。豊臣秀吉が桃屋尼場内に建てた茶室「燕庵」を移したものとされ、京都は伏見から本願寺を経て、尾道は向島の豪商・富島家より寄進された。

1814(文化11)年向島の天満屋が寄進したとされる。織部好みの風格ある建物といわれる。修復中。(10月末完了予定)

          

雪舟十三代の孫・長谷川千柳による作庭。築山に配置された百に近い庭石には「本尊石」「シャカ石」「仙人腰掛石」とそれぞれ神仏の名前が付く。

庫裏と客殿

国重要文化財

1719(享保4)年建立。

庫裏

平成の大修理で、庫裏の大屋根に十二連の竃等が復元され、藩主のおなりの時など何百人分もの賄いがされた情景が想像できる。

    

客殿

本玄関も藩主を迎えるなどの格式を保つように復元される。

   

宝庫

国重要文化財 土蔵建築 1759(宝暦9)年建立 全解体修理がなされ、複雑な内装の様式が忠実に復元された。

 

宝篋印塔(伝尊氏塔)・宝篋印塔・納経塚

  


Aug.19,2012 大野木康夫 source movie

 

庫裏や方丈は修理中で覆いの中でした。

 

裏門(重要文化財)

江戸後期の建築

長屋門、桁行14.9m、梁間5.0m、切妻造、本瓦葺

     

山門(重要文化財)

室町前期の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺、両袖潜付

          

本堂(国宝)

嘉暦2(1327)年の建築

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

この日は施餓鬼の法要でした。

            

阿弥陀堂(重要文化財)

貞和元(1345)年の建築

桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

         

多宝塔(国宝)

元徳元(1319)年の建築

三間多宝塔、本瓦葺

                                 

境内東側に宝篋印塔と納経塔が並んでいます。

  

納経塔(重要文化財)

弘安元(1278)年の建造

石造宝塔、基壇付

弘安元年戊寅十月十四日の刻銘がある

     

宝篋印塔(重要文化財)

貞和4(1348)年の建造

石造宝篋印塔

貞和四年戊子十月一日の刻銘がある

    

もう一つの重文宝篋印塔は境内南側、鐘楼の隣です。

宝篋印塔(重要文化財)

室町前期建造の石造宝篋印塔で、足利尊氏の供養塔と伝わっています。

    

国道から浄土寺を振り返りました。

 


Dec.2008 瀧山幸伸 source movie

 

山門、裏門

Sanmon,Uramon

         

本堂

Hondou

                      

阿弥陀堂

Amidadou

                 

多宝塔

Tahoutou

                       

納経所、書院、唐門

          

宝篋印塔 納経塔

  

その他

      


Mar.2008 撮影: 高橋明紀代

浄土寺山門、五百羅漢

  


事務局用


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