広島県尾道市 千光寺
Senkoji,Onomichi city,Hiroshima
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Apr.3,2019 瀧山幸伸
千光寺境内
June 23, 2014 中山辰夫
尾道市東土堂町15−1
衆派:真言宗 本尊:千手観音(秘仏 32年毎に開帳) 開祖:空海 創建;806(大同元)年
千光寺は標高140m、尾道港が一望できる大宝山の中腹に建つ、巨岩に囲まれた古刹である。山門から振り返ると海が見え、その向こうに島々の山並みが重なり合っている。
境内は後ろに山を控えた高台にある。巨岩に張り付くように、本堂・鐘楼・持仏堂などの建物が並び建つ。名前のついた巨岩がめっぽう多く、圧倒される。
ロープウエイから見た千光寺
■歴史
寺伝によれば806(大同元)年に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)が再興したというが確証なく、中世以前の寺歴は判然としない。
戦国時代には備後国御調郡木梨村木梨城主の杉原元恒がこの地に出城を築いている。
■境内図
■本堂
俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊・千手観世音菩薩は、33年に一度開帳の秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。
観音冥応集によると、『元禄十七年二月八日、隣接の栗原村国長の善右衛門という者の長屋から出火した火勢さかんとなり本宅に燃え移らんとした際、一心専念に千光寺観音に祈誓をこめ、この火難を救い給われば、一夜お籠りして念誦申し上げることを誓ったところ、たちまち不思議に風向き転じて猛火は和らぎ災厄をのがれたので、霊験のありがたさに、急ぎ観音に詣うでて礼謝した』と伝えられ、爾来火伏せの観音として巷間ひろく信奉されている。
大師堂
大師尊像を祀る。由来についての伝承が残る。
■護摩堂
三百余年前までは、境内に当山城主杉原公の守本尊・多聞天を祀った三重の宝塔があったが、山上から大石が落下して倒壊し、その跡に建立された。
本尊は不動明王で、脇侍に阿弥陀如来、地蔵菩薩が祀られている。毎月28日には不動護摩供を修法している。
■三十三観音堂
■大仙堂
大山智明大権現は鳥取の大山寺の御本尊・地蔵菩薩のことで、その御分体がここに祀られている。
昔は人が死ぬとその魂は大山へ留まるという信仰があり、大山へお参りできない人は、この大仙堂に参拝していた。
当山の大山智明大権現は表情が非常におだやかで「ニコニコ地蔵」と呼ばれみんなに親しまれている。
■毘沙門堂
本尊・毘沙門天、脇士禅尼師童子、吉祥天女はともに聖徳太子宮造りの棟梁、鞍作止利仏師の作で、聖徳太子開運を祈願せられた尊像と伝えられ、当山城主杉原公の守本尊であった。
■鐘楼
堂前の小門をくぐると目前に朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っている。この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっている。
この鐘の特徴は、鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子が浮彫りになっており、この地方では珍しい曼荼羅の鐘である。
千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は平成8年7月1日、環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれました。特にこの附近の情景は文豪志賀直哉氏の小説『暗夜行路』にも描写されている。
撫松庵(ぶしょうあん)
頼山陽が命名したものとして世に知られる撫松庵は、古くから頼山陽を始め田能村竹田など知名の風流人士、文人墨客の憩いの部屋として慣れ親しまれてきた建物である。
■石鎚鎖道場
千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現である。千光寺本堂裏には石の鳥居があり大正時代から石鎚蔵王権現が奉られていた。
大正15年3月に石鎚山へ登る鎖を取り付けたが、戦争の激しくなった昭和18年に鐘と一緒に供出されて以来、今では忘れられた存在であった。
平成に入り、住職が、「本堂からとは違う一段上からの素晴らしい眺めと奇岩を見てもらいたい」と石鎚山を整備し始めたことがきっかけで、62年振りとなる平成17年から一般の参拝客にもお参りできるようになった。
この石鎚権現さんは四国ではなく浄土寺山の鎖山にある石鎚権現さんの方向を向いている。
■玉の石 高さ15m、周囲50m
玉の岩または烏帽子岩と呼ばれ、周り50m、高さ15mあり、当山第三の巨岩で、これには伝説がある。
■梵字岩
この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれており光明真言曼荼羅である。
■岩割松
樹齢数百年の大きな松がその根で数トンにもあるような岩を割り、砕いて、厳然と立ち上がっているその様は、今更ながら自然界の力強い生命力を感じさせると同時にゆったりと流れる悠久の時間をも感じさせられる。
■鼓石
鼓岩は別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がする。
右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡といわれている。
■三重(みかさね)岩
■夫婦岩
■観音坂
■本堂からの遠景
『海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい』…放浪記
Aug.19,2012 大野木康夫 source movie
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