兵庫県赤穂市 妙見寺
Myokenji,Ako city,Hyogo
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Dec.10,2016 中山辰夫
赤穂市坂越1307−1
妙見寺は神仏習合時代、大避神社の神宮寺だった寺。大避神社左手の裏参道を登った宝珠山山腹にある観音堂で、明治初年の神仏分離によって分離された真言宗の仏教寺院である。 通称は妙見寺観音堂。
4枚の三角形を合わせたお堂の屋根は、ピラミッドと同方向を向くといわれる。
天平勝宝年間(749〜57)に行基が開き、のち806(大同元)年に空海が中興したと伝わる。「太平記」に登場する児島高徳ゆかりの寺として知られる。
山道をのぼってゆくと坂越浦城跡が途中にある
1454(享徳3)年山名持豊によって築かれたと云われる城跡。1495(明応4)年、龍野城主赤松下野守村秀の通城となり、江戸時代には赤穂藩の御番所が置かれていた。近世に入り坂越小学校があった(1963(昭和38)年に移転)
坂越湾〜生島の景色
さらにすすむ
山門
観音堂 市指定有形文化財
別名「円通閣」 1659(万治2)年宝珠山山頂に奥の院として建立 1722年に現在地に移建 1772(享保7)年に再建された。
懸造り形式、三間四方、本瓦葺。如意輪観世音菩薩、六観音像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像、弘法大師像を安置。
十二支を彫り込んだ蟇股が四面に並ぶ
観音堂からの眺めが素晴らしい。生島が美しく見える
薬師堂・妙見堂・地蔵堂
宝珠山八十八箇所霊場
境内の高所から見える景色
山を下り船岡園に向かう
児島高徳墓地
高徳は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。(高徳については諸説あると聞く)
後醍醐天皇に忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、国民的英雄の一人となった。
さこし船岡公園付近
大避神社の裏山一帯
展望台があり、そこからの見晴は絶景とか。石段を上ると児島高徳の墓地がある。鳥居は忠魂碑のもの。
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