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兵庫県尼崎市 本興寺

(Honkoji Temple, Amagasaki, Hyogo)

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尼崎市開明町3 本興寺開山堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和3(1617) 桁行九間、梁間三間、一重、撞木造、正面唐破風付、本瓦葺 棟札2枚 19140417

尼崎市開明町3 本興寺三光堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 三間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺 19140417

尼崎市開明町3 本興寺方丈 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和3(1617) 桁行19.8m、梁間14.0m、一重、入母屋造、本瓦葺 玄関1棟、棟札2枚 19740521


November 13,2021 大野木康夫  source movie

所在地 兵庫県尼崎市開明町3-13

阪神尼崎駅から南西すぐのところです。
  


山門
    


三光堂拝殿
    


三光堂(重要文化財)

室町後期の建築
三間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺
                


部分撮影
                       


築地塀越し
   


祖師堂
    


本堂
  


渡廊下
  


塔頭
 


鐘楼
 


開山堂(重要文化財)

元和3(1617)年の建築
桁行九間、梁間三間、一重、撞木造、正面唐破風付、本瓦葺
                    


部分撮影
                      


内部
     


方丈 附:玄関1棟(重要文化財)

元和3(1617)年の建築
桁行19.8m、梁間14.0m、一重、入母屋造、本瓦葺
                                  


部分撮影
                


November 3, 2020 野崎順次 source movie


庫県尼崎市開明町3丁目13番地
法華宗(本門流)大本山
本興寺

この日は年に一度の虫干会で、方丈が公開され、三光祭では三光堂公開、開山堂では日隆聖人像が拝観できる。ただし、大人気の名刀数珠丸のある宝物殿は、コロナ禍のためか、例年とは異なり公開されない。

パンフレットと現地説明板
         


庫裏、堂々たる建物で玄関の天井の梁も高いが文化財指定はない。
               


国重文 方丈 江戸前期 元和3(1617)
桁行19.8m、梁間14.0m、一重、入母屋造、本瓦葺 玄関1棟、棟札2枚
          


方丈、庭に面した側
        


伝小堀遠州作枯山水庭園
                               


方丈内部、玄関から廊下
    


御講の間
        


孔雀の間
      


鶴の間
             


松の間
              


上段の間
       


山門
        


本堂
       


三光堂拝殿では三光祭が執り行われた。
             


国重文 三光堂本殿 室町後期
三間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺
                 


市文 唐門
   


国重文 開山堂 重文 江戸前期 元和3(1617)
桁行九間、梁間三間、一重、撞木造、正面唐破風付、本瓦葺 棟札2枚
                  


御真骨堂、荼毘所塚、御聖教殿、鐘楼、祖師堂、三重宝塔
         


January 18, 2020 野崎順次 source movie

兵庫県尼崎市開明町3丁目13番地
法華宗(本門流)大本山
本興寺

本興寺は応永27年(1420)に当時の尼崎城主である細川満元の帰依を得て開創されました。元和3年(1617)領主戸田氏の尼崎城築城の際、代地として現在地を得て移転し今日に至っています。
ここは日隆聖人ご入滅の聖地であり、聖人が日蓮大聖人の教えを正しく伝えるために著された三千余帖(三百余巻)の「御聖教」が格護されています。
また宝物も多く、国指定重要文化財は日蓮大聖人の御所持の太刀「数珠丸」、御開山日隆聖人御木像、開山堂、方丈、三光堂の五点があり、その他にも県・市の文化財もあります。その他重要宝物として「宗祖御真筆三幅対本尊」をはじめ、信長等の武将の「禁制」や美術品なども保存され、毎年11月3日の「虫干し会」に一般公開されています。
境内には享徳3年(1454)に「勧学院」が創設され、現在は「興隆学林専門学校」と名を改めて全国から多くの僧侶希望者が修行と学問に励んでいます。また日隆聖人ゆかりの「御霊水」が市民にしたしまれています。
(本興寺公式ウェブサイトより)

パンフレット
      


庫裡

国重文 方丈 江戸前期 元和三年(1617)
桁行19.8m、梁間14.0m、一重、入母屋造、本瓦葺
           


伝小堀遠州作の方丈枯山水庭園
            


祖師堂と本堂、山門は改修工事中
       


国重文 三光堂本殿 室町後期
三間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺
            


鐘楼と御会式桜
    


国重文 開山堂 江戸前期 元和三年(1617)
桁行九間、梁間三間、一重、撞木造、正面唐破風付、本瓦葺 附 棟札2枚
           


寺町の通りと夕焼けなど
          


January 16, 2016 野崎順次 source movie

これまでの撮影は天気に恵まれなかった。それはそれなりによかったが、今回は晴時々曇りの条件である。

南の表門

           

本堂と祖師堂

                      

三光堂の拝殿、唐門、本殿 (本殿が国重文)

                   

鐘楼と御会式桜

                        

国重文 開山堂

            

国重文 大方丈

        

書院・客殿あたり

         


Jan.2012 野崎順次 source movie

撮影日: 2012年1月3日

三光堂拝殿

       

重文 三光堂 室町後期(1467 - 1572)

三間社流造、正面軒唐破風付、銅板葺

                            

市文 三光堂唐門 江戸前期

      

鐘楼(県文、江戸前期)と御会式桜(おえしきざくら)

御会式(10月13日の日蓮大聖人御入滅の日)前後から咲き始め、年をまたいで、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜である。

              

重文 開山堂 江戸前期 元和3年(1617)

桁行九間、梁間三間、一重、撞木造、正面唐破風付、本瓦葺

外部

                     

内部

             

重文 大方丈 江戸前期 元和3年(1617)

桁行19.8m、梁間14.0m、一重、入母屋造、本瓦葺

南面正面と庭

                 

西面など

        

東面と鬼瓦

       

参考資料

国指定文化財等データベース


July 2010 撮影: 野崎順次

尼崎市開明町3丁目13番地

法華宗 大本山本興寺

撮影日: 2010年7月

本興寺は、法華宗(本門流)の四大本山の一つで、応永27年(1420)、日隆上人によって創建されました。また、「両山暦譜」によれば、摂津守護細川満元が大物の若宮八幡宮の境内地を寄進して着工し、応永30年(1423)に竣工したと伝えられています。元和3年(1617)寺地は尼崎城築城用地となり現在地に移転しました。

寺町地図および本興寺パンフレット

     

正門から境内へ

               

祖師堂

          

本堂

                 

三光堂拝殿

                        

重要文化財 三光堂

三光堂は境内の南西隅に位置し、東面する建物で、堂内には三十番神・鬼子母神・三光天子(日天・月天・明星天)などが祀られている本興寺の鎮守です。建立年代は、残された棟札に「日逕」のときの建設であることが記されています。この日逕は天正17年(1589)から慶長14年(1609)に寂するまでの存在でしたから、建物の様式上もこの間の建立と考えて間違いないとされています。また、この棟札の裏側には元和3年(1617)の追記があり、同年に開山堂と同じく旧寺地から現在地に移されたことが分かります。

建物は三間社流造(ながれづく)り、正面軒唐破風つき、桧皮葺(ひわだぶき)形式銅板葺きの社殿で、桁行三間、梁間二間。前方一間を 外陣(げじん)、後方一間内陣(ないじん)としています。背面を除く正面・両側面の三方に縁高欄(えんこうらん)をまわし、宝珠高欄を置く。正面に6段の木の階段を据え、両脇に登高欄(のぼりこうらん)がつく。細部の手法に見るべきものが多く、草花彫刻をはめた蛙股(かえるまた)や木鼻(きばな)の絵様彫刻、欄間の透彫りなどに桃山時代の特徴がよく表れています。その他の装飾にも、随所に精妙な毛彫りの金具をはめ、極彩色を施すなど善美を尽くしているところが多く見られ、中世以来の装飾手法を踏まえた近世初頭の装飾性豊かな建物として貴重です。

                         

市指定文化財 三光堂向唐門

一間一戸向唐門で、三光堂の拝殿脇に建てられています。上方に粽(ちまき)があって円形礎盤上にのり、控柱は几帳面取り角柱で、主柱と貫二通りでつないでいます。頭貫は顰(しかみ)のある渦巻き付き木鼻となり、台輪がのっています。斗供(ときょう)は小柄な出三斗(でみつど)で肘木(ひじき)に笹繰り(ささぐり)がとられ、実肘木(さねひじき)がついて禅宗様の特色がよくでています。

虹梁(こうりょう)の袖切は、曲線形で折点のある渦と若葉がつく。虹梁上には蟇股(かえるまた)が置かれていますが、正面蟇股内には牡丹唐獅子の丸浮き彫り彫刻を入れ、背面蟇股では表裏に円形輪郭にかこまれた家紋を刻んでいます。扉回りには地貫(じぬき)・方立(ほうだて)を入れ、地貫及び頭貫に藁座(わらざ)をうち、上方に連子(れんじ)の入った桟唐戸を内開きに取り付けています。

屋根本瓦葺で、棟積み輪違い入り、棟端に家紋の鬼瓦をのせています。建立年代は明らかではありませんが、様式上江戸時代前期に属するものです。

      

県指定文化財 鐘楼

行3間、梁行2間、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の袴腰(はかまごし)つき鐘楼 で、東面中央に片引きの出入口を設けています。

上層では、腰長押(こしなげし)と内法長押(うちのりなげし)の間に 連子窓(れんじまど)を入れ、唐様木鼻(きばな)つきの 頭貫(かしらぬき)および台を納めて、和様二手先拳鼻(こぶしばな)つきの斗供(ときょう)をあげています。中備(なかぞなえ)は撥形の蓑束(みのづか)を配し、四隅では尾垂木(おだるき)を入れ、隅木との間に繰型の多い手挟みを飾っています。二軒繁垂木(しげたるき)、妻飾り叉首組(さすぐみ)、拝(おがみ)に猪目懸魚(いのめげぎょ)をうつ。下層では、堅板張目板打ちの裾広がりの袴腰をつくり、上端に台輪をすえ、和様二手先斗供で目透かし板張りの縁をうけ、刎高欄(はねこうらん)をおき、中備には蓑束を飾る。この鐘楼は、「両山暦譜」によれば、寛永10年(1633)に竣工しており、古材の再利用や後世の修理も加わっていますが、本興寺では開山堂・三光堂・方丈に次いで古い建物です。

           

重要文化財 大方丈

本堂の北側に位置し、桁行十間、梁間七間、入母屋造り、本瓦葺の建物で、前面に一間半の広縁(半間はのちに拡張)、東側に一間の広縁がめぐっています。

建立年代は天文17年(1544)の棟札が残されていることから元和に移築されたのではないかといわれていましたが、昭和56年の解体修理の調査で軸部に解体した形跡がないことが確認され、元和3年(1617)この地に移転した際の建築であることが棟札の存在とともに明らかになりました。保存されている天文13年の棟札はおそらく移転前に存在した建物のものと思われ、移転時に持ってきたものであろうと考えられています。平成7年1月17日の阪神・淡路大震災では大きな被害を受け半解体修理を行いました。

                     

重要文化財 開山堂

開山堂は本堂の北西に位置し、南面する建物で、堂内には日隆上人像が安置され、文庫堂とも称されています。建立年代は文正元年(1466)、または永正10年(1513)とする説があります。昭和38年の修理工事の際に発見された棟札には永禄元(1558)とあり、この時最初の開山堂(御文庫堂)を現在の開山堂に改築したと考えられています。建立当時は、三間四方(内陣)の入母屋造り、本瓦葺の建物でしたが、明暦2年(1656)前面に二間の外陣(げじん)を追加、ついで天和3年(1683)には後方に四間の内々陣及び後陣を増築しているため現在では複雑な構造になっています。 内陣は金箔押の円柱を建てて置上(おきあげ・白色の顔料をもりあげて下地をつくる技術)彩色の頭貫(かしらぬき)・大虹梁(おおこうりょう)などを架け、置上彩色の出三斗(でみつど)詰組を乗せており、軒は二軒扇垂木(ふたのきおおぎだるき)とし、いづれも禅宗仏殿風の様式をとっています。

                               

境内

        

市指定文化財 笠塔婆

花崗岩製で、総高150.3cm。高さ29.5cmの基礎の上に、方柱状の高さ74.9cmの塔身を立てて、20.9cmの笠を置き、その上に宝珠を飾っています。基礎は中央複弁一葉の左右に間弁を配し、隅複弁の反り花を刻出しています。背面は不明ですが、三面は輪郭付き格狭間(こうざま)入りで、正面と右側には線刻の近江式装飾の開花蓮を飾っています。

塔身は四面に輪郭を巻き、それぞれの内に「南無妙法蓮華経」の題目を配し、上端にほぞをつくり、笠のほぞ穴にはめこんでいます。笠は高さ20.9cm。 四注 (しちゅう)の屋根は全体に反転が強く、屋根右側の中央には、縦書きで「十一」の陰刻が見られますが、その意味は分かりません。宝珠と請花は一石からつくられています。

この笠塔婆は本興寺の歴代住職の墓の中でも規模が最大であるだけでなく、時期的にも最も古く15世紀中頃の造立と考えられています。基礎に兵庫県下でも珍しい近江式装飾文の開花蓮を飾ったり、笠の露盤を輪郭付き格狭間入りとし、請花に単弁八葉を刻み、さらに宝珠を高台上にのせるなど細部の手法が丁重をきわめています。それは外観だけでなく塔身の上端のほぞや笠の下端のほぞ穴を二重につくるなど目の届かぬ点にも見られます。この形式が以後の住職墓の基本になったことも注目されます。なお、本笠塔婆は、もと本興寺北西隅の墓地にありましたが、昭和57年に現在地に移されました。

   

裏門へ

       

参考資料

尼崎市教育委員会 尼崎の文化財HP

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