兵庫県尼崎市 猪名寺廃寺跡
(Site of Ruined Inadera Temple, Amagasaki City, Hyogo Pref.)
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国史跡、地上には塔心礎と礎石2個が残る。 | |
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Culture | 法隆寺式伽藍が眠る森 | |
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May 6, 10 and 17, 2020 野崎順次
兵庫県尼崎市猪名寺1-41
国史跡
伽藍配置は「法隆寺式」で、塔と金堂ガ東西に並び、これを中門からでる回廊が囲み、講堂がその北側に配されています。塔心礎は円形凹状柱座をくりこみ、柱座とは別に同一石面上に舎利孔をもっています。また各基壇や周囲の階段は凝灰岩でつくられています。出土した遺物の大半は瓦類で、白鳳時代~室町時代にわたっています。特に白鳳時代の軒瓦は、「川原寺式」と呼ばれているものです寺域全体については未調査のため詳しいことはわかりませんが、阪神間では最もよく旧状を残している廃寺跡です。伽藍は天正6~7年(1577~)の荒木村重と織田信長の合戦の際に焼失したものと思われます。
尼崎市教育委員会
(現地説明版より)
現地説明板、伽藍配置、航空写真
猪名寺廃寺跡のある佐璞丘(さぼくがおか)の森の遠景
入口と二つの礎石、奥にすすむ。
塔心礎
伽藍配置図から見ると、塔跡はこのあたりか?
金堂跡、基壇跡らしき盛り上がりがある。
講堂跡あたりらしいが、それらしい兆候はない。
金堂跡の横の古い墓(無縫塔)と石仏
その他、佐璞丘(さぼくがおか)の森、公園に整備するプロジェクトがあるとか。
隣接して法恩寺と稲名野神社元宮がある。
猪名野山 法園寺
寺伝によると、大化元年(645年)インドの僧・法道が開創、天平13年(741年)に行基が中興し、孝徳天皇が七堂伽藍三廊四門を建立し寺領八百八町を下賜したと伝えられる。
元亨元年(1321年)元弘の乱の兵火に遭い、寺領・伽藍を失うも再興。 しかし天正6年(1577年)の荒木村重と織田信長の戦いでは完全に焼失した。
その後、本尊が池から発見され、宝暦7年(1756年)小堂を再興、翌年、法印定暠が本堂を建立した。
明治6年(1873年)には無住のため廃寺となるが、明治11年に檀家の努力で再興された。
上記の寺伝や『摂陽群談』には、北隣にあったとされる大寺院・猪名寺と同一であったと思われる記述も見られる。
(ウィキペディア「法恩寺(尼崎市猪名寺)」より)
このお寺では病気や不自由なネコを治療中である。連れて帰るなとの表示が
猪名野神社本宮(伝聞)
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