兵庫県尼崎市 武庫大橋
(Muko-ohashi Bridge, Amagasaki/Nishinomiya City, Hyogo Pref.)
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September 12, 2021 野崎順次
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土木学会推奨土木遺産
日本百名橋
枝川(西宮市)は、現在の甲子園口駅南東で(武庫川から)分流し大阪湾へ注いでいたが、大正期(当時は武庫郡鳴尾村)に廃川。その跡地を阪神電気鉄道が開発したのが、高級住宅地としてしられる西宮七園の一つであり、そして野球の聖地として名高い阪神甲子園球場が所在する、甲子園地区である。
(ウィキペディア「武庫川」より)
さて、そのような地へ武庫大橋は建設された。武庫大橋建設事業の監修を務めたのは、アメリカでの修行から戻ったばかりの増田淳である。増田は、風景に調和させつつ洗練された力強い構造体を表現する力量で後に世に知られる、近代屈指の技術者であった。その増田を顧問として、兵庫県の「老練家」として定評のあった阪神国道西宮工営所長の溝口親種が建設・工事にあたった。溝口は、竣工直後に「此の地方将来の発展亦予期すべきを以て、本橋は市街橋に適する強度と、四周の風致に応はしき意匠とを与へて計画せり」と述べ、機能だけでなくその美観を強く意識している。すでに阪急電鉄の小林十三によって私鉄沿線に興るモダンな生活スタイルは注目されており、隣接する甲子園経営地周辺にも新しい動きが始まる可能性を、増田や溝口は感じ取っていたに違いない。
橋の主要構造である開腹アーチ(アーチと路面の間に材料が詰まっていない構造)は、モダンな雰囲気のシルエットをもっている。高欄や歩道のバルコニーなども、細部がていねいにデザインされており、新しい生活文化を支える地域の橋として十分な役割を果たしたであろう。武庫大橋は、支間20mのアーチ橋6連、8mの桁橋が9連である。6連のRC開腹式アーチ橋は、当時最大級であった。
諸元・形式:
形式 鉄筋コンクリート開腹アーチ橋
規模 橋長262.5m/幅員20m/(開通当時 軌道中央3間/車道両側各3間/歩道両側各1間)
竣工 1926年
(土木学会ホームページより)
武庫大橋は国道2号線にかかる。橋の東半分が尼崎市、西半分が西宮市である。
東から大橋にアプローチ。
左岸(東)の下流(南)河川敷から
上流の河川敷から
橋の歩道を西へ
ここから西宮市、上流側の河川敷から
歩道に戻り、尼崎市へ
その後、9月21日に右岸下流から
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