兵庫県尼崎市 如来院
(Nyoraiin Temple, Amagasaki City, Hyoto Pref
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鎌倉後期の笠塔婆 |
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April 5, 2020 野崎順次 source movie
兵庫県尼崎市寺町11
浄土宗
珠光山 如来院
当院は、元祖円光大師(法然上人)25霊場第4番札所です。沿革は、奈良時代に聖武天皇の厄除けを祈願して、行基菩薩が神崎(尼崎市神崎町)に、神崎釈迦堂を建立したのが始まりと伝えられています。当院には遊女物語が語り継がれています。鎌倉時代に法然上人が神崎に立ち寄られた時、お説教を聞いた5人の遊女達は、頭の黒髪を切りとり出家者となって、お念仏を称えながら入水往生しました。
その後、当院は戦国時代、城主細川高国の菩提寺となり、旧尼崎城下(現在の大物町)に移り、江戸時代には現在の寺町へ移転しました。
当院の銅鐘
(市指定文化財)は、応永32年(1425)の年号があります。始めは島堂(現在の豊中市内)勧進寺のものとして鋳造されて、のち伝来したものです。また、県下に誇る石造美術品として、花崗岩製笠塔婆(市指定文化財)があります。嘉暦2年(1327)、両親の33回忌の供養の為に建てられた七のです。
尼崎市教育委員会
(現地説明版より)
市文 如来院笠塔婆
鎌倉時代後期 高さ183cm 花崗岩
阪神電鉄「尼崎」駅の西南。このあたりは寺町の名にふさわしく、古寺が軒を連ねる市街地である。門内右手に笠塔婆は立っている。笠は亡失。名月姫の供養塔という伝承がある。方形の基礎は四面二区にち、正面のみはその内の左右寄りに、近江文様の対向する孔雀を薄肉彫して、空間の効果を図り、他の三面は格狭間とし、上端は繰形とする。塔身の正面上部を長方形にほりこみ、蓮座上に美しい地蔵立像を半彫する。下の空間に願文を刻み、その下を
横長の方形に沈めて、格狭間つきの台に坐る二親と思われる合掌像を浮彫する。塔身の他の三面は、周囲に輪郭を巻き、真書・行書・草書の六字名号を、塔身一ぱいに蓮座の上に彫る。願文は五行にわたり、「右志者、迎二親三十三ケ年之遠忌、所奉彼菩提也、乃至法界平等利益、嘉暦二年(1327)卯丁七月十二日、孝子比丘尼願阿弥陀願一」と刻む。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年より)。
その他境内
帰途、近くのお寺の桜など
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