兵庫県朝来市 法樹寺
(Hojuji Temple, Asago City, Hyogo Pref.)
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July 23, 2022 野崎順次 source movie
兵庫県朝来市和田山町竹田955-1
浄土宗 見星山 法樹寺(ほうじゅうじ)
<天空の城>として一躍有名になった竹田城跡の麓に建つ法樹寺は、最後の竹田城主・赤松廣秀の菩提寺である。赤松廣秀は1586年竹田城主となると、現在の城跡の城を整備し、養蚕や漆器業を奨励し領民から慕われ<仁政の君主>といわれている。また、儒学に深い文化人としても評価された。ところが、関ヶ原の戦いで西軍に与し後に東軍に従ったが、鳥取城下の焼き討ちで、徳川家康の命で自刃している。この自刃に至る経緯については謀略などの説もあり、廣秀の無念が残る死であったともいわれている。廣秀の死後、竹田城は廃城となっている。
法樹寺は1578年に開創され、寛永年間(1624~44年)に現在地に移っている。法樹寺一帯は竹田寺町と呼ばれ4ヶ寺が建っている。
(ウェブリブログ「お寺の風景と陶芸」より)
パンフレットと現地説明板
門前の六地蔵、山門、本堂、習田雪峰の碑、花塚(芭蕉句碑)、月塚(魚潜ら三人句碑)など
法樹寺庭園
本堂や薬師堂が再建され、寺域が整備されていく中で、十三代仏舟和尚(文化三年寂)は、芭蕉の流れをくむ俳人として知られた。庭園もこの仏舟和尚時代に作庭された。当寺に「涼月台記」と題する仏舟和尚によって書かれた扁額が残され、仏舟和尚の指示によって庭が築かれたことが記されている。この「涼月台記」は、郷土の山紫水明の美しさを表現しながら庭の景観を記した名文で、文中からして寛政十二年(1800)頃に庭が完成したようである。
庭園構成と特徴
庭園は、本堂書院、庫裏書院の両側から観賞できる池泉観賞式庭園である。竹田城の雄姿を背景に、その麓に、斜面を利用して作庭された。急傾斜の築山に滝石組を中心に石組し、サツキやツツジ類を植え、池泉に出島や中島を配した庭園で、書院前面を広くとり、ここに"涼月台〃と呼んでいる三石を枯山水風に組む。
特徴は、高い滝石組で、近年滝石組がよく見えるようになり、裏山から流れ出た水が落水していた滝石組であることが分かる。高さもあり水墨画風の庭園構成である。
〃涼月台"とは、文字通り、腰をおろして月を眺めながら涼をとるという台石で、文中に「半腹に、さばかりの平面の石をならべて涼月台となつく」とあり、さらに「余ひとり石上に膝を屈して五更の天の隅なきに向ひて」などの文もあって、庭を愛する俳人としての日々の生活の様子を伺い知ることができる。
背後の竹田城は、現在石垣のみが残っているが、その雄姿を庭園構成に取り入れての景観は雄大で、穴太積みの石積み法が用いられた優美さは、書院からもくつきりと山上に浮き出ている。
(西桂「兵庫県の日本庭園 – 歴史と美を訪ねて」2004年11月25日神戸新聞総合出版センター)
本堂の横(南)から入り、庫裡書院の前に。池中にオタマジャクシとイモリがいた。
正面から涼月台越しに見る。
池泉に近づいて、石橋、中島(出島)、枯滝石組などを鑑賞する。
山畔の上から見る。
西国三十三所観音石仏(かつて竹田城に至る山道に安置されていた)
赤松廣秀公の墓
寺町通り、法樹寺を含む4カ寺が並び、その北には竹田ゆかりの顕彰碑などある。
駅のプラットフォームからの法樹寺遠望
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