兵庫県 福崎町 福崎市街
Fukusaki downtown,Fukusaki town,Hyogo
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July 2012 中山辰夫
福崎町散策
兵庫県神崎郡福崎町
姫路の北に位置する神崎郡福崎町は但馬と結び北播磨の要衝として発展した町である。
中国自動車道と播但連絡道路の交差する交通の要衝として工業も盛んな一方、「沙羅の花」が咲く應聖寺
七種の滝など自然や歴史も感じることができる、多彩な姿を有する町です。
明治期には生野鉱山の銀を姫路へ運ぶ「銀の馬車道」の経由地となった。
辻川地区には、江戸時代に建築された「大庄屋三木家」をはじめ、日本民俗学の父「柳田國男」の生家や
「柳神崎郡歴史民俗資料館(明治19年建築、旧神崎郡役所)など、歴史的遺産も残っている。
町では、郷土食であった「もち麦」を復活させ、昭和58年(1983)から特産物として栽培を始めた。
福崎町案内
應聖寺
兵庫県神崎郡福崎町高岡1912
宗派:天台宗
縁起
関西花の第8番、江戸初期に造られた名勝「應聖寺庭園」を有し、沙羅の花の咲く寺としても有名。
遠景
石段を登った高台にある。
涅槃仏
境内に入る前庭に、仏頭と仏足は石で刻み、胴体はサツキの花ごろもに覆われた涅槃仏が横たわる。
先代の住職が年月をかけて作庭した手づくりの仏像である。
江戸中期の作で、極彩色で描かれた涅槃図が2月15日に掛けて祀られる。涅槃図には、数多くの動物が
描写されているが、猫を描いた涅槃図は珍しいとされる。
山門
本堂、他
名勝應聖寺庭園
本堂から書院にかけての裏山斜面に築かれ、山裾に広がる細長い池泉を配した池泉鑑賞式庭園である。
作庭は江戸初期とされ、沢飛石・三尊石・滝の石組が特徴とされる。
書院からの眺めでは、なぜか高山植物の花ばかりが目立った。
山裾を散策しながらも眺められる。
石斛(せっこく)の景
5月下旬から6月上旬に美しい彩りと香りが楽しめる。シーズンが終わった後の状態である。
沙羅の花
境内方々に木は植わっているが、肝心のお花は点々と咲くのみだった。
関西花の寺
福崎町辻川界隈へ移動する
もちむぎやのやかた
福崎町西田原1022−4
有井堂
「もちむぎやのやかた」からも見える所に立つ。僅かの距離である。
旧辻川郵便局
福崎町西田原字道北1107-1
国登録文化財
東隣に屋敷を構えるもと庄屋の三木家が、大正11年(1922)の辻川郵便局長就任を機に建築した。
一階を郵便業務用に昭和35年(1960)まで、二階は電報・電話業務用に昭和42(1967)年まで使われてきた。
南側道路に面して建つ。建築面積91㎡、木造2階建、寄棟造桟瓦葺である。
外壁は下見板張で、上下階とも上げ下げ窓を配し、軒先に瓔珞をまわす。
1階玄関ポーチの庇に渦紋を象り、「〒」をモチーフとした意匠で天井を飾るなど、洋風の郵便局舎
の好例である。
古写真
大庄屋三木家住宅
兵庫県指定文化財
辻川郵便局の隣に所在する。現在保存工事中(写真は兵庫県HPより)
三木家は、明暦元年(1655)、飾万津(飾磨)から福崎町辻川の地に移り住み、姫路藩の大庄屋として地域の政治と文化
の中心的存在となってきた。福崎町出身である、‘民俗学の父’柳田國男とも縁が深い。
只今修復工事中。そのスケールにビックリする。
住宅の概要
工事現場を覗く
『三木家は、英賀城主三木氏の出自と伝えられます。
天正8年(1580)、羽柴(豊臣)秀吉による播磨侵攻により英賀城が落城した際、一族は各地に逃れました。当家は林田に来て
帰農し、江戸時代を通じて林田藩の大庄屋をつとめました。
周囲は土塀等で囲まれ、南西には園池が広がっています。敷地内には主屋、長屋門、引き続き矩折れに長屋、土蔵(米蔵、内蔵
新蔵)の6棟の他、屋敷神、裏門等が残っています。
また長屋西端には藩主を迎え入れるための御成門が建てられています。
主屋他6棟の建物は、平成2年(1990)兵庫県指定重要有形文化財に指定されました。 また、古文書は5,068点、古絵図も
10数点が残され、内6点が附指定を受けています。』(兵庫県HPより)
すこし山手に向かって歩く
柳田國男・松岡家記念館
福崎町西田原
柳田國男生家
福崎町西田原
神崎郡歴史民俗資料館
福崎町西田原
兵庫県重要文化財
鈴ノ森神社
ヤマモモの木
福崎町遠望
参考資料≪パンフレット、兵庫県HP、福崎町HP他≫
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