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兵庫県姫路市飾磨区 網干

Aboshi,Shikamaku,Himeji City, Hyogo

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January 18, 2026 野崎順次  source movie

兵庫県姫路市飾磨区網干
網干町めぐり
(Historical Sites in Abochi Area, Shikama-ku, Himeji City, Hyogo Pref.)

パンフレットと現地説明板、「網干ロマン街道めぐり」に加えて、後述の興濱陣屋門資料館でもらったパンフレットが今回の網干めぐり全体のよい資料となる。

          

姫路市都市景観重要建築物等第3号
外国人技師住宅(クラブハウス) 明治43年(1910)
様式は19世紀末のイギリスのコテージに類似する意匠も散見されるが、下見板張りや竪羽目板張りの外装などはアメリカのコ ロニアル・スタイルと共通する点が多い。1辺約 10mのほぼ矩形の平面に対し、切妻、寄棟、半寄棟が合わさった多彩な屋根形状を持っている。
(姫路市)

                  

姫路市都市景観重要建築物等第2号
外国人技師住宅(旧図書館) 明治43年(1910)
旧図書館、クラブハウスともに、明治41年に創設された日本セルロイド人造絹糸株式会社の技術指導を担当した外国人技師の住宅として建築。通天閣や神戸の聚楽館を手掛けた設楽建築工務所の設計で、新しい傾向を積極的に取り入れた思い切ったデザ インが特徴。
(姫路市)

               

網干公園あたり

     

旧赤穂塩務局網干出張所庁舎(現在は東京電機工業社屋) 明治後期
網干の塩田は江戸時代後期に龍野藩主の命により開発が進み、昭和35年に廃止となるまで続いたが、明治38年の塩専売法の施行に伴って赤穂に日本最古の塩務局庁舎が設立され、続いて明治末から大正初年頃に網干出張所が設けられたという。
(姫路フィルムコミッションサイト)

      

旧赤穂塩務局網干出張所塩倉庫

       

それから

    

網干神社

       

少し東へ行くと、旧タムラ技研本社。外観は洋風(下見板張り)に改装している町屋建築。

    

旅館のような大型町家の並ぶ通りを抜けて永念寺を通過する。

             

レンガ色のブロック舗装の道は、浜街道(室津下道、または室津街道南路)である。後で戻ってくるのだが、東へ行く。

      

橋本商店街を北へ

    

姫路市都市景観重要建築物等第23号
旧網干銀行本店 湊倶楽部  大正後期 大正後期 大正10年に設立された網干銀行の本店として建設された。
円形に処理された北西隅の頂部に載る葱坊主型のオジー・ドームが この建物を特徴付けている。セセッションと呼ばれる形式に基づく簡略化された装飾により、抑制の中にも適度な華やかさが見られる。
(姫路市)

              

鍛冶六の建物は元々、明治時代から四代続く永尾金物店の建物。140年ほど歴史ある金物屋さんで、四代にわたって営業を続けていたが、今は酒と本の店になっている。当時の回廊や洋風応接間、地下室をそのまま利用している。

            

旧金井時計店, 現在は電気のカナイとして営業中。大正末期頃の現存する看板建築。

        

浜街道に戻り、西へ

         

つどい場TAO、町の人々が集う本当に楽しい喫茶店。ハンバーグランチと珈琲で1400円だった。

         

姫路市都市景観重要建築物等第39号
片岡家住宅 建築年代 18世紀初期
龍野藩南組の大庄屋を永く務めた家であり、明治まで近在5か村にまたがる地主であり、塩田も所有していた。その家柄にふさわしく、主屋は間口7間にも及び、奥行きも6間半を測る大型の町家である。道路側の外観は小さな虫籠窓をもつ軒の低い古い形式を良く残している。
(姫路市)

                        

境橋、興浜村と新在家村の境の堀割に架かっていた橋

       

浜街道をさらに西へ

         

山本家住宅(別項目)あたりの街道景色

           

丸亀藩興濱陣屋門資料館

             

姫路市都市景観重要建築物等第40号
旧水井家住宅 大正11年(1922)
戦前まで材木問屋を営んでいた。材木問屋らしく屋敷構えは豪 壮で、主屋は高い板塀で囲まれ、前庭を有している。東の端には 門を配し、西橋は土蔵が土塀に連なっている。その総間口は約13 間を測り、階高の高い黒漆喰塗り込めの主屋とともに、存在感を示している。
(姫路市)

            

揖保川

  

網干商工会館、昭和15年

      

網干川を渡って、あぼしまち交流館

       

船渡八幡神社

              

船渡八幡神社のすぐ北の道沿いに、網干の初代町長である加藤邦太郎氏の功績を讃える石碑が建っている。この石碑の題字は、勝海舟の直筆によるもので、「誠塾」の河野東馬と赤松則良の頼みによって届けられたものと言われている。
(兵庫県神社庁サイト)

  

国登文 加藤家住宅 江戸・明治 1830 - 1899
主屋、離れ座敷、濱座敷、内蔵、湯殿及び雪隠、長屋門、西塀、鎮守社の8棟が登録されている。

姫路市都市景観重要建築物等第34号
加藤家住宅 江戸末期
天領から流下する年貢米の納収、保管、売却を行う蔵元であっ た。また、「成田屋」の屋号で廻船業を営むとともに、屋敷に工場を併設した醤油業を興し、明治から大正にかけて最盛期を迎えた。長屋門や大屋根の主屋が向かいの船渡八幡宮と美しく調和している。
(姫路市)

                   

山陽網干駅方向に戻る。落ち着いた街並みが続く。

               

梵鐘付き楼門の専念寺から網干港線道路を越える。

        

稲香村舎 誠塾
河野東馬が慶応4年(1868)に建てたという「稲香村舎(香邨書屋)」は明治22年(1889)に私塾名を正式に「誠塾」とし多くの人材を輩出した。昭和23年から30年にはここで網干農学塾が開設されていた。河野東馬(1835から1912)は網干の垣内村に生まれ、名を通鶚、号を香邨といい、林田藩校敬業館教授となった河野鐵兜の弟である。建物は農家形式である左右三室前後二室の六間取りを基本とするが、土間幅が狭く、前後二室の床付きの座敷、表座敷の床横の構えなどに私塾の形式をみることができる。玄関は2間幅をとり式台形式とせず上がり台形式である。
(姫路市)

        

帰途

       

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