兵庫県姫路市 書写山圓教寺
Shosazan Engyoji Temple, Himeji, Hyogo Pref.
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姫路市書写2968 円教寺金剛堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 天文13(1544) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 厨子1基 19130414
姫路市書写2968 円教寺奥之院 護法堂(乙天社) 重文 近世以前/寺院 室町後期 永禄2(1559) 一間社隅木入春日造、檜皮葺 厨子2基、棟札4枚 19550622
姫路市書写2968 円教寺奥之院 護法堂(若天社) 重文 近世以前/寺院 室町後期 永禄2(1559) 一間社隅木入春日造、檜皮葺 19550622
姫路市書写2968 円教寺奥之院 開山堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 寛文13(1673) 桁行五間、梁間六間、一重、宝形造、本瓦葺 宮殿1基、棟札3枚、柱敷板1枚 20130127
姫路市書写2968 円教寺奥之院 護法堂拝殿 重文 近世以前/寺院 桃山 天正17(1589) 桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 棟札2枚 20130127
姫路市書写2968 円教寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 19130414
姫路市書写2968 円教寺常行堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 "享徳2(1453)(常行堂)寛正4(1463)(中門及び楽屋、舞台)" "常行堂、中門、楽屋及び舞台より成る常行堂 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
中門及楽屋 桁行南面十間、北面九間、梁間二間、一重、中門切妻造、楽屋常行堂より葺きおろし、本瓦葺舞台 桁行一間、梁間一間、一重、北面唐破風造、南面中門及び楽屋に接続、本瓦葺" 棟札1枚 19550622
姫路市書写2968 円教寺食堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 寛正(1461-1466)頃 桁行十五間、梁間四間、一重二階、入母屋造、本瓦葺 19550622
姫路市書写2968 円教寺大講堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 "永享12(1440)(下層)寛正3(1462)(上層)" 桁行七間、梁間六間、二重一階、入母屋造、本瓦葺 19130414
姫路市書写2968 寿量院 客殿及び庫裏 重文 近世以前/住宅 江戸中期 貞享5(1688) 桁行29.7m、梁間19.3m、一重、入母屋造段違、中門及び玄関附属、中門切妻造、玄関唐破風造、本瓦及び銅板葺 土塀1基 19560628
姫路市書写2968 寿量院 棟門 重文 近世以前/住宅 江戸中期 江戸中期 一間棟門、前後支柱付、切妻造、本瓦葺 20140127
姫路市書写2968 十妙院 客殿及び庫裏 重文 近世以前/住宅 江戸中期 元禄4(1691) 桁行27.4m、梁間14.9m、一重、入母屋造段違、南面軒唐破風付、南面玄関附属、唐破風造、西面便所附属、本瓦葺 表門1棟、土塀1基 20140127
姫路市書写2968 十妙院 唐門 重文 近世以前/寺院 江戸中期 享保9(1724) 一間平唐門、檜皮葺 20140127
仁王門
Niomon
寿量院
客殿及び庫裏
棟門
(附:表門、土塀)
五輪塔跡
十妙院
客殿及び庫裏
唐門
(附:土塀)
石造笠塔婆 - 鎌倉時代、延慶4年(1311年)銘、県指定文化財
弁慶のお手玉石(護法石)
護摩殿
三十三所堂
三の堂へ
大講堂
金剛堂(附:厨子)
食堂
常行堂(常行堂、中門及び楽屋、舞台)
奥之院
開山堂(附:宮殿1基、棟札3枚、柱敷板1枚)
護法堂(乙天社及び若天社)2棟(附:厨子2基、棟札5枚、鳥居2基)
護法堂拝殿(附:棟札2枚)
金剛堂
榊原家墓所
法華堂
十地院
鐘楼
松平墓所
薬師堂
July 12,2015 大野木康夫 source movie
所在地 兵庫県姫路市書写2968
書写山圓教寺は天台宗別格本山、西国三十三か所観音霊場の第二十七番で、最近では映像作品のロケ地としても有名です。
この日も多くの方が参拝されていました。
圓教寺は書写山の山頂に位置しており、徒歩でも参拝できますが、開門時刻が姫路市書写ロープウェイの始発時刻に合わせてあるため、多くの方はロープウェイで参拝されます。
通常は15分間隔で約4分弱で山上駅に着きます。
拝観入口の志納所から摩尼殿までバスの便もありますが、途中の塔頭も見ておきたいので徒歩で行くことにしました。
展望台
仁王門付近
塔頭壽量院は精進料理予約者のみ入ることができます。
棟門(重要文化財)
江戸中期の建築
一間棟門、前後支柱付、切妻造、本瓦葺
寿量院は、姫路市街北西の書写山の山上にある円教寺の塔頭寺院の一つである。
客殿及び庫裏は、貞享5年(1688)の建立で、中門を附属して古式を表す近世の塔頭寺院建築として重要文化財に指定されている。
棟門は、客殿及び庫裏の南面に突出する中門の正面に開く貴賓用の門で、江戸時代中期の建立とみられる。
近世の塔頭の構えを良く維持しており、既指定の客殿及び庫裏とともに保存を図る。
(国指定文化財等データベースより)
客殿及び庫裏(重要文化財)
貞享5(1688)年の建築
桁行29.7m、梁間19.3m、一重、入母屋造段違、中門及び玄関附属、中門切妻造、玄関唐破風造、本瓦及び銅板葺
十妙院
圓教寺長吏の居所で非公開です。
十妙院は、姫路市街北西の書写山の山上にある円教寺の塔頭寺院の一つで、16世紀中頃の創立と伝える。
現在の客殿及び庫裏は元禄4年(1691)、唐門は享保9年(1724)の建立である。
客殿及び庫裏は、客殿と庫裏を一棟にまとめており、貴賓入口を示す軒唐破風や唐戸口などに古式を残しながら、客殿室内は上質な書院造とする。
唐門は、客殿前に開く貴賓用の門である。
十妙院は、江戸時代中期の山上寺院における塔頭の様相を示しており、門や土塀など、近世の塔頭の構えを良く維持していて価値が高い。
(国指定文化財等データベースより)
客殿及び庫裏(重要文化財)
元禄4(1691)年の建築
桁行27.4m、梁間14.9m、一重、入母屋造段違、南面軒唐破風付、南面玄関附属、唐破風造、西面便所附属、本瓦葺
附指定:表門及び土塀
唐門(重要文化財)
享保9(1724)年の建築
一間平唐門、檜皮葺
摩尼殿(登録有形文化財)
昭和8(1933)年の建築
木造平屋建,瓦葺,建築面積419㎡
比叡山延暦寺と並び称される書写山の中心をなす。
焼失した前身建物を、絵葉書などの資料からほぼ踏襲する形で建てられた。
設計は武田五一、大工棟梁は伊藤平左衛門である。
その豪壮な姿で広く知られており、数少ない大規模な掛け造り建築の好例である。
(国指定文化財等データベースより)
摩尼殿から三堂へ
常行堂(重要文化財)
享徳2(1453)年の建築(常行堂)
寛正4(1463)年の建築(中門及び楽屋、舞台)
常行堂、中門、楽屋及び舞台より成る
常行堂 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
中門及楽屋 桁行南面十間、北面九間、梁間二間、一重、
中門切妻造、楽屋常行堂より葺きおろし、本瓦葺
舞台 桁行一間、梁間一間、一重、北面唐破風造、
南面中門及び楽屋に接続、本瓦葺
食堂(重要文化財)
寛正(1461-1466)年頃の建築
桁行十五間、梁間四間、一重二階、入母屋造、本瓦葺
大講堂(重要文化財)
永享12(1440)年の建築(下層)
寛正3(1462)年の建築(上層)
桁行七間、梁間六間、二重一階、入母屋造、本瓦葺
鐘楼、金剛堂から奥之院へ
鐘楼(重要文化財)
室町後期の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
金剛堂(重要文化財)
天文13(1544)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
奥之院へ
開山堂(重要文化財)
寛文13(1673)年の建築
桁行五間、梁間六間 一重 宝形造 本瓦葺
円教寺は姫路市街北西の書写山の山上にある天台宗寺院で、奥之院は開山性空の廟所である。
現在の開山堂は寛文13年(1673)の建立で、永禄2年(1559)建立の重要文化財円教寺護法堂(乙天社及び若天社)や、天正17年(1589)建立の護法堂拝殿とともに奥之院を構成する。
開山堂は桁行五間、梁間六間の宝形造で、礼堂風の外陣、中央を敷瓦の土間とした内陣を持ち、外廻りの和様組物間の菱支輪や、禅宗様の須弥壇廻りと宮殿、外陣の海老虹梁など、近世らしい意匠がみられる。
護法堂拝殿は護法堂の正面に建つ桁行七間の懸造である。
円教寺奥之院の建造物は、開山堂を中心として、まとまりのある開山廟所の空間を形成しており、既指定の護法堂とともに保存を図る。
(国指定文化財等データベースより)
護法堂
乙天社(重要文化財)
永禄2(1559)年の建築
一間社隅木入春日造、檜皮葺
若天社(重要文化財)
永禄2(1559)年の建築
一間社隅木入春日造、檜皮葺
御法堂拝殿(重要文化財)
天正17(1588)年の建築
桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
ロープウェイの帰路
February 25, 2007 野崎順次
June 8, 2014 野崎順次 source movie
兵庫県姫路市書写2968
天台宗別格本山
近所のネコが見送ってくれた。
書写山ロープウェイで山上へ
パンフレットと現地説明板
バスで摩尼殿まで
国登録有形文化財 摩尼殿 昭和八年(1933年)
木造平屋建,瓦葺,建築面積419㎡
比叡山延暦寺と並び称される書写山の中心をなす。焼失した前身建物を、絵葉書などの資料からほぼ踏襲する形で建てられた。設計は武田五一、大工棟梁は伊藤平左衛門である。その豪壮な姿で広く知られており、数少ない大規模な掛け造り建築の好例である。
巨木の立ち並ぶ山道を行く。
県文 本多家墓所五棟の廟屋 江戸初期−中期
大講堂、常行堂、食堂の「三之堂」は元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷と、永享八年(1436年)の火災で焼失し、現存する各堂は室町時代、15世紀半ばの再建である。
国重文 常行堂 室町中期 常行堂 享徳二年(1453) 中門、楽屋、舞台 寛正四年(1463)
常行堂 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
中門及び楽屋 桁行南面十間、北面九間、梁間二間、一重、中門切妻造、楽屋常行堂より葺きおろし、本瓦葺
舞台 桁行一間、梁間一間、一重、北面唐破風造、南面中門及び楽屋に接続、本瓦葺
花嫁花婿の記念撮影
国重文 食堂(じきどう)室町中期 寛正頃(1461-1466)
桁行十五間、梁間四間、一重二階、入母屋造、本瓦葺
総二階建ての長大な仏堂である。1階は柱間15間のうち、北寄りの1間を引戸とするほかはすべて蔀戸とし、腰壁を設け、内部は円柱が並ぶ広大な1室とするなど、他に例をみない。
国重文 大講堂 室町中期 下層 永享十二年(1440) 上層 寛正三年(1462)
桁行七間、梁間六間、二重一階、入母屋造、本瓦葺
弁慶鏡井戸と不動堂
奥之院は開山性空の廟所である。開山堂を中心として、護法堂乙天社及び若天社、拝殿が並び、まとまりのある開山廟所の空間を形成している。
あいにく、護法堂乙天社及び若天社は修理工事中。
国重文 開山堂 江戸中期 寛文十三年(1673)
桁行五間、梁間六間、一重、宝形造、本瓦葺
礼堂風の外陣、中央を敷瓦の土間とした内陣を持ち、外廻りの和様組物間の菱支輪や、禅宗様の須弥壇廻りと宮殿、外陣の海老虹梁など、近世らしい意匠がみられる。
伝左甚五郎作の力士像が開山堂軒下に三躯ある。一躯は重さに耐えかね逃げ出したという伝承がある。
和泉式部歌塚(鎌倉期、宝筐印塔)
国重文 護法堂拝殿 桃山 天正十七年(1589)
桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
小さな谷に下り、石垣の上に
国重文 金剛堂 室町後期 天文十三年(1544)
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺、旧塔頭普賢院の持仏堂
国重文 鐘楼 室町後期
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
法華三昧堂
榊原家墓所
瑞光院など
参考資料
国指定文化財等データベース
ウィキペディア「圓教寺」
Sep 2009 撮影/文 野崎順次
兵庫県姫路市書写2968
天台宗別格本山
書写山圓教寺
撮影日: 2009年9月22日
①現況
兵庫県姫路市の姫路城の西北約6㎞に位置する、海抜371mの山上にある。史跡地に指定された境内は、約18㌶と言われる、東西に1㎞の細長い形で、山間を利用して建物が点在している。
康保3年(966)性空上人によって開かれた、比叡山と同じ天台宗の修行道場の寺である。
重要文化財
建造物=大講堂・常行堂・食堂・護法堂(2棟)・壽量院・鐘楼・金剛堂
仏 像=釈迦三尊・四天王・阿弥陀如来座像
その他=県指定(建造物10棟・仏像他3件)市指定(仏像3体)
境内は国指定史跡。
②歴史上の天災・人災
○元徳3年(1331)雷火の為三之堂と周辺の諸堂焼失。
○天正6年(1578)秀吉乱入し本陣とする。帰途仏像その他多数持ち去る。この頃まで
27000余石の寺領を有していたが、秀吉によりすべて没収。500石だけを施入される。
後1000石になるが、江戸に入り833石となる。
〇明治元年(1868)明治維新、833石と境内を含む山全体が国に没収される。
〇昭和16年(1941〜1945)太平洋戦争による荒廃。
③保存修理・防災工事
昭和25年(1950)年「文化財保護法」制定により、昭和26年より、大講堂解体 修理、同31年完成。
続いて金剛堂・食堂・常行堂・壽量院・護法堂修理。
防災工事(避雷針・自動火災報知設備・消火用貯水槽=約1000㌧)。
その他県指定8棟、未指定塔頭寺院等5棟修理。
近年、ようやく、仏像の調査と一部の修理が始められるようになった。
これは偏に早稲田大学文学部の大橋・櫻庭先生を中心とした諸先生方の御厚意と御協力のお陰と感謝している。
(圓教寺ホームページ)
④管理体制
侵入感知設備・職員による夜間巡回(3回)
⑤所感
最近映画やテレビの撮影に使われる。
特に大規模なものはトム・クルーズ主演の「ザ・ラスト・サムライ」だった。
これも監督の目にとまったのだが、新しい人工の入らない、自然の中にたたずむ建物との調和した時代的な雰囲気が気にいったようだ。
事実、自然遺産と文化遺産が別々ではなく、うまく調和を保っているのだと誇りに思っている。
今でこそ近代的な設備で守っているが、過去1000年ー何もない中で環境や建物を守り続けてきた諸先輩の御努力には敬服と感謝の他ない。
特に戦後の苦しい中での修理の苦労は並大抵の物ではなかった。
全ての住人が絶えず愛情を持って、物を見、扱って来たと思う。特に火の用心には気を使ったと思う。
今後は仏像の修理と史跡の整備が我々の責務と考えている。
私達にとって文化財の指定の有無に関わらず、全てが大切な文化遺産であると認識している。
その為には物に対する愛情目配り・気配りが基本であると思っている。
これも多勢の人々の御理解と御協力なくてはできない。何卒暖かい気持ちで応援をお願い致したい。
(圓教寺ホームページ)
JR姫路駅〜書写山ロープウエー〜山上。
彼岸花が盛りである。また、色の異なる稲穂を使って田んぼに絵を描き出す「ひめじ田宴アート」が見ごろを迎えていた。
さらに観音像の並ぶ山道を登る。
以前に来た時は深遠かつ荘厳な霊地という印象が深かったが、何やら、明るく、若い参詣者が多い。
途中の展望スポットでは、良い角度で「ひめじ田宴アート」が見える。
○兵庫県指定文化財 仁王門(におうもん)
江戸初期の建物。両脇に仁王像が立つ。
向かって右側が口を開いた「阿」像、左側が「吽」像。
一対で「あ・うんの呼吸」をつくり聖域の守りとなる。
これより先圓教寺境内。三つ棟造りの仁王門と仁王像は、姫路市指定文化財。
(圓教寺ホームページ)
○国重要文化財 壽量院(じゅりょういん)
江戸中期の建物、「蔀戸」中門などの寝殿造りの古い形式を備え、内部は、床や違い棚のついた書院造りになっている。
もっと古くには、無量壽院と呼ばれ、承安四年(1174)には後白河法皇がここに七日間こもって観世音菩薩の加護を願われた。
(圓教寺ホームページ)
○兵庫県指定文化財 十妙院(じゅうみょういん)
江戸時代の建物、平成4〜7年大修理が完成。
建物は仏間を中心とした方丈と台所を設けた庫裡とを会わせた構造、壽量院と共に圓教寺型ともいえる独特の構造を持った塔頭。
内部には、狩野永納筆のふすま絵があり、特別公開時に同時に見られる。
(圓教寺ホームページ)
○登録有形文化財 摩尼殿(まにでん)
マニとは梵語の如意のこと。天禄元年(970)創建。
本尊は六臂如意輪観世音菩薩で、この堂の創建前、天人が桜樹を礼拝するのを見て、上人が根のあるままの生木に観音像を刻まれた。
そのために岩山の中腹に舞台造りの建物となった。
本尊六臂如意輪観世音菩薩は、1月18日の鬼おいの日に開扉されます。
国の重要文化財四天王像もここに安置されています。
(圓教寺ホームページ)
大正8年火災に遭い、残存遺構や資料をもとに武田吾一が設計し、昭和8年にほぼ全身を踏襲する形で再建された。
大工棟梁は帝室技芸員伊藤平左衛門守道(九世)である。
外陣では高石ともや巡礼歌奉納コンサートが開催中で、中高年のファンが目立つ。
「水は無理しない、水は流れるだけ」とか気楽なフォークを歌っていた。
白装束の修験者が読経中であった。
摩尼殿の裏道を辿って巨木を過ぎて、本多家廟屋(ほんだけ びょうおく)に至る。
大講堂の東南の隅に土塀で囲まれた姫路城城主本多家の墓所があり、廟屋五棟と本多忠刻らの墓碑が並んでいる。
五棟の廟屋は、江戸初期から中期にわたる廟屋の建築として県下でも例のない珍しいもの。(兵庫県指定文化財)
(圓教寺ホームページ)
その前は広場を囲んで三つの堂がコの字型に並ぶ圓教寺の核心部で、普段は荘厳かつ静寂であるが、この日だけは、姫路の雑貨店「itsumo」が野外イベント「にじのわまつり」を開催していた。
同寺境内での開催は今年で2回目。
会場は、フード店や雑貨店、ワークショップなどが並ぶ「出店エリア」と、ミュージシャンを招いて行う「ライブエリア」の2エリアに分けて開催する。
三つの堂広場は「ライブエリア」で、舞台準備が進行していた。
○国重要文化財 大講堂(だいこうどう)
圓教寺の本堂に当たる堂で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場。室町中期の建物で、食堂、常行堂とともにコの字型に立ち並んで「三之堂」(みつのどう)を形成している。
内部は、内・外陣に区切られており、内陣には、釈迦三尊像(中央が釈迦如来、右が文殊、左が普賢菩薩)が安置されている。
(圓教寺ホームページ)
○国重要文化財 常行堂(じょうぎょうどう)
常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。建物の構成は、方五間の大規模な東向きの常行堂。
北接する長さ十間の細長い建物が楽屋、その中央に張り出した舞台とからなり立っている。
内部は、中央に二間四方の瑠璃壇を設け本尊丈六阿弥陀如来坐像が安置されている。
舞台は、大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのもの。
(圓教寺ホームページ)
○国重要文化財 食堂(じきどう)
本来は、修行僧の寝食のための建物。
承安四年(1174)の創建。本尊は、僧形文殊菩薩で後白河法皇の勅願で創建。
二階建築も珍しく長さ約40メートル(別名長堂)においても他に類を見ないものである。
未完成のまま、数百年放置されたものを昭和38年の解体修理で完成の形にされた。
現在1階に写経道場、2階が寺宝の展示館となっている。
(圓教寺ホームページ)
食堂の横に弁慶鏡井戸があり、その横の裏道を下っていくと開山堂であるが、あいにく工事中で拝観できなかった。
○兵庫県指定文化財 開山堂 (かいざんどう)
圓教寺開山の性空上人をまつる堂。
書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。
現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。
軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。
(圓教寺ホームページ)
○国重要文化財 護法堂(ごほうどう)
奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社。
向かって右が乙天社、左が若天社。
書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。
同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ室町末期の神社建築の特色をよく表している。
(圓教寺ホームページ)
○兵庫県指定文化財 護法堂拝殿(ごほうどうはいでん)
奥之院の広場を挟んで護法堂と向かい合って建っている。
開山堂参籠の行者の、護法堂への勤行、礼拝のための建物。寛文に建立された鳥居が護法堂には残っているが、それ以前護法堂には土塀が張り巡らされ、唐破風の門があり、扉は閉ざされていた。
桃山時代の建築物で別名「弁慶の学問所」で知られている。
(圓教寺ホームページ)
鐘楼、法華堂、榊原家墓所辺りが「にじのわまつり」の出店エリアだった。
○国重要文化財 鐘楼(しょうろう)
袴腰(はかまごし)付で腰組を持つ鐘楼で全体の形もよく整っています。
鎌倉時代後期の様式。
平成13年解体修理を終えた。
修理中の調査で、もとは宝形であったと推測されている。
銅鐘は県指定文化財。
(圓教寺ホームページ)
来た時とは違う下の道を通ってロープウェイ山上駅に戻る。
遠く姫路市街地を眺め、「ひめじ田宴アート」を眺め、ロープウェイを降りてから、彼岸花を求めて田んぼをさまよった。
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