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兵庫県姫路市 廣峯神社

(Hirominejinja Shrine, Himeji City, Hyogo)

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姫路市広嶺山52 広峯神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 文安元(1444) 桁行十一間、梁間三間、一重、入母屋造、正面一間通り庇付、檜皮葺 宮殿3基 19600609

姫路市広嶺山52 広峯神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永3(1626) 桁行十間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19600609

姫路市広嶺山52 広峯神社宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 室町前期 石造宝篋印塔 19530829


 September 28,2024 大野木康夫 source movie


  


参道

   

宝篋印塔(重要文化財)

                       

随神門

   

拝殿(重要文化財)

                         

本殿(重要文化財)

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附指定の宮殿3基

   


Sep.26,2015 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                           


July 12,2015 大野木康夫 source movie

所在地 兵庫県姫路市広嶺山52

    

宝篋印塔(重要文化財)

室町前期

                    

拝殿(重要文化財)

寛永3(1626)年の建築

桁行十間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

本殿の前面にある大きな拝殿で、社殿形式として重要である。

(国指定文化財等データベースより)

                         

本殿(重要文化財)

文安元(1444)年の建築

桁行十一間、梁間三間、一重、入母屋造、正面一間通り庇付、檜皮葺

京都八坂神社(祇園社)の本社ともいわれる神社。

今の社殿は長禄三年(一四五九)ごろの造営である。

神社建築としてはめずらしい大規模な本殿である。

(国指定文化財等データベースより)

                                

その他境内

      

神社から市街地の眺め

  


Nov.2011 野崎順次 source movie

兵庫県姫路市広嶺山52

撮影日: 2011年11月26日

廣峰神社は姫路市の北の広峰山系の中央峰(標高257m)に鎮座し、牛頭(ごず)天王を祀り、京都八坂神社の元社と称せられる古社である。天平6年(734)年吉備真備(きびのまきび)の創立で、はじめ白幣山にあったが、天禄3年(972)現在の地に移ったという。神地は本殿の建つ敷地を頂点として階段型の地形である。本殿は南面し、軒を接して拝殿が建つので、本殿の正面を一望にとらえることはできない。社地からの眺望は勝れ、姫路城(大天守保存修理工事中)とこれを囲む市街が俯瞰できるばかりではなく、天気の良い日には飾磨平野と遥か播磨灘に浮かぶ家島群島を望むことができる。

由緒記および現地説明板

             

鳥居から表参道を進む。

           

重文 宝篋印塔 室町前期

2m以上もある大型の石塔だが、昭和になってから神社周辺に埋もれていたものが発見された。石の表面の劣化や褪色も少なく、時代の経過を感じさせない。宝篋印塔が乗る台座に、複弁反花が彫られている。反花式基壇の上に置かれた基礎は、各面に輪郭を巻き格狭間を入れているが内部は素面である。塔身の四面には線刻月輪内に胎蔵界の種子を刻んでいる。

                   

市文 隨神門 江戸中期 元禄

                

東方の境内、霊木千年松、末社軍殿八幡社など。

            

重文 拝殿 江戸前期 寛永3年(1626)

桁行十間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺。長禄3年(1459)の造営だが、寛永3年の暴風雨で大破し、姫路城主本多忠政が修理を加えた。柱通りはほぼ本殿と通っているが、東端を欠いて桁行十間と、本殿より一間短い。平面は八間の身舎の四方に庇をつけ、また正面には縋(すがる)破風を付けて縁を取り込んでいる。棟は一軒疎(ひとのきまばら)垂木、天井を化粧屋根裏とする。床は前面に拭板を敷き、周囲の壁は入り口のみ開放とし、ほかは腰板壁をつけ、その上は吹き放ちである。長床系の拝殿の変形で、全国的に見ても大きい物である。

拝殿外部

            

拝殿向拝

             

拝殿内部

                   

重文 本殿 室町中期 文安元年(1444)再興

桁行十一間、梁間三間、一重、入母屋造、正面一間通り庇付、檜皮葺。正面十一間側面四間(庇の間を含む)である。平面は複雑に見えるが、大きく分けると内陣、外陣及び庇の間の三区からなる。内陣は桁行2間を一室として三社が並列している。各社とも一間社流れ造り見世棚付きの宮殿(くうでん)を置き、他の一間を仏間としている。天台宗系の神仏習合の神殿として珍しいものである。これは三社を覆屋(おおいや)に入れた京都の宇治上神社本殿の形式を発展させ、三社を囲って横に仏座をつくり、外陣と庇を付け、脇に附属室(供物所、神饌所)をつけたものと考えられる。

拝殿を通して本殿前面(南面)を見る。

          

本殿外部東面、東から見た本殿前面

           

本殿背面と西面、西から見た本殿前面

                                

本殿の裏にある末社群

                       

山道を薬師堂まで歩き、境内西方に戻る。

                  

末社蛭子社と地養社、絵馬堂からの展望など。

                               

七五三詣

                  

社家(御師屋敷)跡地を通って最初の鳥居に戻る。

                     

帰り道で見た姫路市街などの展望

       

参考資料

兵庫建築士会HP

国指定文化財等データベース

姫路市HP

 

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