兵庫県姫路市 亀山御坊 本徳寺
(Kameyama-Gobo Hontokuji Temple, Himeji City, Hyogo Pref.)
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播州の巨刹、県下最大規模の本堂、庫裏など |
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県および市指定建造物多数 |
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町中なれど広大な境内 |
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February 12, 2018 野崎順次 source movie
兵庫県姫路市亀山324番地
500年以上の歴史を持つ「亀山御坊本徳寺」。以前は英賀寺内町にあり、英賀御堂・英賀本徳寺と呼ばれ播磨の浄土真宗布教の拠点として栄えました。1580年 豊臣秀吉による『英賀城攻め』の後、亀山の地に移築され「亀山御坊本徳寺」の名称に。明治の初めに本堂が焼失したため、1873年 京都の西本願寺の北集会所を移築し、現在も本堂としてその姿を残しています。
移築された本堂は、桁行き19間・梁間15間と県下最大の規模を誇り、約5000坪の境内には、英賀御堂から移された「釣り鐘(市指定文化財)」「飾瓦」「法宝物(ほうほうもつ)」や、兵庫県指定文化財の本堂・大広間・庫裡・経堂など、多数の大規模な文化財も。毎月第4日曜日に開催される、朝市・骨董市の「亀山御坊楽市楽座」では、様々なイベントも開催され賑わいを見せています。
新撰組が残した傷跡
創建当時の本堂は焼失。その後1873年、京都の西本願寺より北集会所を譲り受け、移築されたものが現在の本堂となっています。移築前の北集会所は、新選組が京都の屯所(とんしょ)として使用したもので、今も北の柱には新撰組がつけた2本の刀傷が残っています。
(山陽電車黒田官兵衛ゆかりの沿線スポットウェブサイトより)
兵庫県および姫路市指定文化財(建造物)の説明は本寺ウェブサイトより引用させていただきました。
現地説明板と山陽電車亀山駅からのアプローチ
市文 大門 - 嘉永年間(1848 〜1854)築、
一間一戸四脚門、切妻造、本瓦葺
市文 太鼓楼 - 18世紀中頃(推定)築、
下層正面三間・側面四間、上層方二間、上下層とも入母屋造、本瓦葺
大門、茶所、経堂の遠景
市文 茶所
主要部実長正面六間、側面四間、入母屋造、本瓦葺
県文 経堂 - 18世紀中頃(推定)築、方
三間もこし付經堂、方形造、本瓦葺
手水舎、鐘楼など
中宗堂(蓮如堂)
県文 本堂 - 元文三年(1738年)築、
正面九間・側面十一間半、三間向拝付、入母屋造・本瓦葺妻入
本堂から大広間への渡り廊下、庭越しに表書院(市文)が見える。
大広間遠景。そして大広間前の庭、梵鐘(市文)が置かれている。
市文 大玄関 - 元録4年8月(1691年)築、
正面三間・側面五間・唐破風本瓦葺
県文 大広間 - 18世紀中頃(推定)築、
正面七間・側面十間半、入母屋造妻入、唐破風付、本瓦葺
大広間内部
市文 大広間北殿(桜の間) - 18世紀頃(推定)築
県文 庫裏 - 延享4年9月(1747年)築、
主要部実長正面九間半・側面十間半、出入口唐破風付、入母屋造妻入、本瓦葺
市文 長屋塀・北門・芝倉 - 18世紀中頃(推定)築、
正面三間・側面十五間・切妻・本瓦葺
市文 米倉(穀物倉庫) - 18世紀中頃(推定)築、
正面三間・側面五間・切妻・本瓦葺
その他、北門あたりの境内
帰途、亀山駅近くの神輿倉庫、姫路駅近くのポケモン探し、姫路名物おでん(生姜醤油味)など
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