兵庫県伊丹市 昆陽寺
(koyadera Temple, Itami, Hyogo)
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January 1 and 11, 2020 野崎順次 source movie(Jan.1) source movie(Jan.11)
兵庫県伊丹市寺本2丁目169
高野山真言宗
崑崙山 昆陽寺
昆陽寺は奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。朱塗りの山門と境内の観音堂が昭和44年に、また山門内に安置されていた広目天・多聞天立像が平成10年に、それぞれ兵庫県指定文化財となっています。
(伊丹市公式ウェブサイトより)
パンフレットと現地説明板
県文 山門
本堂あたり、初参り
石塔、鐘楼、弁天堂
県文 観音堂
行基堂(開山堂)
その他境内
帰途、何故か近所にアルパカがいた。
Jan.2100 撮影/文 野崎順次
兵庫県伊丹市寺本2−169
高野山真言宗
崑崙山 昆陽寺
撮影日: 2011年1月26日
奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。
朱塗りの山門と境内の観音堂が昭和44年に、また山門内に安置されていた広目天・多聞天立像が平成10年に、それぞれ兵庫県指定文化財(以下、県文)となっている。
西国薬師四十九霊場第十九番札所。西国街道(現・国道171号)沿いに位置し、地元では「こやでら」や「行基さん」と呼ばれて親しまれている。
天平5年(733年)第45代聖武天皇の勅願寺となって伽藍が整備され、周辺を開墾、荘園化して発展した。
天正7年(1579年)荒木村重と織田信長の戦火(有岡城の戦い)で焼失したが再興され、江戸時代は遍照院・一乗院・正覚院・成就院など9ヶ寺の塔頭を有していた。
平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で被災した
県文 山門(江戸中期)
入母屋造本瓦葺。元々は第二門で、第一門は2km以上南方の尼崎市の富松神社付近にあった。震災で被災、解体修理を実施。
本堂(薬師堂):本尊・薬師如来を祀る。震災で崩壊、2年後に再建された。瑠璃殿とも称される。
公爵近衛文麿閣下参拝記念樹
鐘堂(江戸後期)
『今昔物語集』に摂津国の小屋寺で鐘が盗まれた話がある。梵鐘は四代目で、宝暦10年(1760年)製。
行基堂(開山堂)
行基菩薩と脇侍である文殊菩薩・普賢菩薩を祀る。震災で被災、解体修理を実施。
県文 観音堂(江戸初期)
桁行三間、梁間三間、一重寄棟造正面向拝付、本瓦葺。十一面観音を祀る。震災で被災、解体修理を実施。
境内の石造物、西国三十三箇所霊場石仏など
凱旋紀念碑 忠勇義烈頌功碑
四国八十八箇所霊場石仏
行基塚
鎮守堂、白長大明神、稲荷大明神など
参考資料
伊丹市HP
ウィキペディア「昆陽寺」
続竹林の愚人HP
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