兵庫県加古川市 鶴林寺
Kakurinji,Kakogawa city,Hyogo
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加古川市加古川町北在家424 鶴林寺護摩堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 永禄6(1563) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 棟札1枚 19070527
加古川市加古川町北在家424 鶴林寺行者堂 重文 近世以前/神社 室町中期 応永13(1406) 一間社隅木入春日造、背面入母屋造、本瓦葺 棟札2枚 19300523
加古川市加古川町北在家424 鶴林寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永14(1407) 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 旧小屋材1個 19070527
加古川市加古川町北在家424 鶴林寺常行堂 重文 近世以前/寺院 平安後期 平安後期 桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、本瓦葺 19070527
加古川市加古川町北在家424 鶴林寺太子堂 国宝 近世以前/寺院 平安後期 天永3(1112) 桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇付、一重、宝形造、庇葺きおろし、檜皮葺 19010327 19521122
加古川市加古川町北在家424 鶴林寺本堂 国宝 近世以前/寺院 室町中期 応永4(1397) 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺 棟札2枚 19010327 19521122
Sep.15,2016 瀧山幸伸
June 15, 2014 野崎順次 source movie
兵庫県加古川市加古川町北在家424
刀田山 鶴林寺
(Kakurinji Temple, Kakogawa City, Hyogo Pref.)
鶴林寺公園
パンフレットと現地案内板
県文 仁王門 江戸前期 寛文十二年(1672)
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
階上堂が初公開、内部は撮影禁止
境内から見た仁王門
国宝 本堂 室町後期 応永四年(1397)
桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
本堂内部
本堂前の菩提樹
国重文 常行堂 平安後期
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、本瓦葺
国宝 太子堂 平安後期 天永三年(1112)
桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇付、一重、宝形造、庇葺きおろし、檜皮葺
国重文 鐘楼 室町中期 応永十四年(1407)
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
国重文 護摩堂 室町後期 永禄六年(1563)
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
観音堂 江戸中期 宝永二年(1705)
桁行三間、梁間三間、向拝一間、入母屋造、本瓦葺
新薬師堂
県文 三重塔 室町中期
三間三重塔婆、本瓦葺
国重文 行者堂 室町中期 応永十三年(1406)
一間社隅木入春日造、背面入母屋造、本瓦葺
経蔵
その他境内
宝物館
参考資料
国指定文化財等データベース
Feb 3.2013 大野木康夫 source movie
所在地 兵庫県加古川市北在家424
鶴林寺は加古川市の市街地にあります。
文化財指定の建造物が数多く残っています。
仁王門(兵庫県指定文化財)
寛文12(1672)年の建築
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
境内への入り口になります
本堂(国宝)
応永4(1397)年の建築
桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
仁王門から正面に見えています。
太子堂(国宝)
天永3(1112)年の建築
桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇付、一重、宝形造、庇葺きおろし、檜皮葺
本堂の右(東)にあります。
観音堂
宝永2(1705)年の建築
桁行三間、梁間三間、向拝一間、入母屋造、本瓦葺
太子堂のさらに東です。
護摩堂(重要文化財)
永禄6(1563)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
観音堂の東、宝物館の手前にあります。
鐘楼(重要文化財)
応永14(1407)年の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
太子堂の北東です。
常行堂(重要文化財)
平安後期の建築
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、本瓦葺
本堂の左(西)にあります。
三重塔(兵庫県指定文化財)
室町中期の建築
三間三重塔婆、本瓦葺
常行堂の南に建っています。
仁王門前からも見えます。
行者堂(重要文化財)
応永13(1406)年の建築
一間社隅木入春日造、背面入母屋造、本瓦葺
境内の西南隅に離れて建っています。
Oct. 2009 撮影/文 野崎順次
撮影: 2009年10月12日
兵庫県加古川市加古川町北在家424
聖徳太子御創立
刀田山 鶴林寺
(Kakurinji Temple, Kakogawa, Hyogo Pref.)
高麗(こま)の僧、恵便(えべん)法師は、物部氏ら排仏派の迫害を逃れて、この地(播磨)に身をかくした。
聖徳太子は恵便法師(えべんほうし)を慕い、その教えをうけるため、この地に来られた。
のち、秦川勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが鶴林寺のはじまりであると伝えられている。
養老2年(718年)、武蔵の大目「身人部春則」(むとべはるのり)が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、さらに9世紀の初め慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願された。
天永3年(1112年)に鳥羽天皇から勅額をいただき、以来「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定めらた。
鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりとともに、鶴林寺は全盛時代をむかえ、寺坊30数カ坊、寺領25.000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたといれれたが、戦国時代にいたって、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の厳しい宗教政策のため、衰徴の一途をたどらざるを得なかった。
しかし一方、「刀田の太子さん」とよばれて庶民の信仰厚く、また「播磨の法隆寺」ともよばれ、多くの文化財が護持され、人々の信仰と心の安らぎの場となっている。(本寺HPより)
パンフレットと入口表示
県指定文化財 仁王門 江戸時代 寛文12年(1672年)
国宝 本堂 室町時代
鶴林寺最大の建物で内陣厨子(ずし)の棟札に応永4年(1397)の銘がある。
入母屋造り、本瓦葺。日本の仏寺建築は、和様の時代から鎌倉の初期には大仏様・禅宗様が輸入され、和様との折衷様式が流行し始める。
鶴林寺本堂は大阪府河内長野市の観心寺本堂と並ぶ、折衷様式の代表例とされる。
外部は桟唐戸(さんからど)で閉め切ったときにいっそう重厚さにあふれて見える。(本寺HP)
重要文化財 常行堂 平安時代(12世紀前半)
国宝太子堂とほぼ同年代の建立でもとは太子堂と同じく檜皮葺(ひわだぶき)であったものを1566年に瓦屋根に葺きかえた。
このお堂では、常行三昧(じょうぎょうざんまい)という、口で阿弥陀仏を唱え、心に阿弥陀仏を思いながら、休むことなく何十日も歩き巡る厳しい修業が行われた。
その遺構としては日本最古である。
国宝 太子堂 平安時代 天永3年(1112年)
方三間、一重、宝形造りの建物の前に一間の縋破風をかけ、奥行き一間の礼堂をつけたもので四方を縁ではりめぐらしている。
全体として藤原建築の美点を遺憾なく発揮しバランスの富んだ建物である。
赤外線で発見することができた太子堂壁画もこの建物に納められていた。(本寺HP)
重要文化財 鐘楼 室町時代 応永14年(1407年)
入母屋造り、本瓦葺き。本堂より10年遅れて建立された。
朝鮮・高麗時代に鋳造された梵鐘も重要文化財で澄んだ高い音色は黄鐘調(おうしきちょう)といわれる。(本寺HP)
観音堂 江戸時代 宝永2年(1705年)
本尊 木造聖観世音菩薩立象(秘仏)
入母屋造り、本瓦葺き、正面一間の向拝付き。奥二間が内陣、手前一間が外陣。
重要文化財 護摩堂 室町時代 永禄6年(1563年)
三間四方の入母屋造り、本瓦葺きの均整のとれた小堂。
柱上の斗組を省略した簡素な造りである。
外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式護摩堂は火炉で護摩木を焚くところで知恵の火で煩悩・罪障を焼き尽くす行方が行われる場所。(本寺HP)
護摩堂から境内を横切って三重塔に向かう。
県指定文化財 三重塔 室町時代
室町時代の創建だが、江戸時代に大修理が行われている。
近年放火で一部損傷したが1980年(昭和55年)の解体復元修理でよみがえった。
尾上(おのえ)街道や鶴林新道から朱塗りの塔が松林の中に見え加古川のシンボルにもなっている。(本寺HP)
重要文化財 行者堂 室町時代 応永13年(1406年)
当初は鶴林寺鎮守の山王権現(さんのうごんげん)を祀っていた。
前面を春日造り、背面を入母屋造りにした堂で、こうした建物では最古級と言われている。(本寺HP)
新薬師堂の文化財未指定仏像たち
巨大な薬師如来と日光・月光菩薩、そして十二神将の15体が祀られている。
江戸時代、延宝6年(1678年)に大阪の医者で茶人であった津田三碩が大願主となり、多くの協力者を得て奉納したものである。
本堂の薬師如来が60年に一度しか御開帳されない秘仏であることを聞き、毎日拝める薬師如来を奉納した。
ところが、最近、これらの仏像が江戸時代ではなく、鎌倉〜室町のものではないかとの声も高い。
特に、薬師三尊には鎌倉仏の緊張感が漂う、と感じる。
講堂、特攻隊慰霊碑、石造宝篋印塔、浄心院、宝生院。
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