兵庫県加古川市 泊神社
(Tomarijinja Shrine, Kakogawa City, Hyogo Pref.)
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天照大神、秦河勝、宮本伊織ゆかりの神社 |
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登録有形文化財建造物8件、市指定文化財1件 |
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兵庫県加古川市加古川町木村658
伝承によれば、天照大神が天岩戸に隠れたとき、八百万の神々が、大神の怒りを解くために鏡を造り、1つは伊勢神宮に祀られ、1つは海に流された。大和時代、それが当神社のある場所に泊まり着き、そこにあったアオキの木を檍原泊大明神として祀ったのが泊神社の始まりとされる。飛鳥時代に聖徳太子が鶴林寺を建立した際、側近で棟梁であった秦河勝が紀伊国から彼の氏神である国懸大神を勧請し社殿を建立したという。
南北朝時代には、石弾城が築かれていた。1653年(承応2年)には、宮本伊織が宮本武蔵の供養の意を込め全社殿一式を再建した[1]。
(ウィキペディア「泊神社」より)
パンフレットと現地説明板
南側の立派な門
国登文 太鼓倉 昭和前(1936)
木造平屋建、瓦葺、建築面積24㎡
神楽殿の西南、随身門の西に位置する。桁行6.4m梁間3.8m規模の木造平屋建。屋根は桟瓦葺で、北面を入母屋造、南面を切妻造とする。北妻面に大きく扉口を設け、他3方は土壁とし、内部は漆喰仕上げ、外は焼板張とする。
国登文 能舞台 - 江戸後期建築、2007年(平成19年)改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積39㎡
神楽殿の南に位置する。北面して建つ切妻造妻入の能舞台で、西側面に脇座、背面に後座を設け、橋掛が続く。桁行4.9m梁間4.9mのほぼ方形で、後座は梁間2.1mとする。床は拭板敷で、天井は化粧屋根裏天井で、豪快な梁組を見せる。
拝殿、神楽殿、幣殿、本殿の全景
国登文 神楽殿 - 1653年(承応2年)建築、1988年(昭和63年)改修
木造平屋建、瓦葺、建築面積38㎡
本殿の前方に位置する。入母屋造本瓦葺で、桁行3間梁間3間に四周に高欄付切目縁をまわしたが、背面は室内に改造された。面取方柱で、柱上に舟肘木を置き、軒は一軒疎垂木。正面は引違戸、側面は連子窓とする。本殿と一連で建てられた、近世初頭の社殿。
国登文 本殿 江戸 1653年(承応2年)建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積9.0㎡
南面する入母屋造妻入銅板葺で、正面に軒唐破風付の向拝を付ける特徴的な外観となる。1間社で、背面は中央に柱を建て2間とし、正・側3方に榑縁をまわす。身舎は円柱で、柱上は出組。向拝は三斗組で、中備に蟇股を置く。時代相応の良質な意匠である。
国登文 幣殿
江戸/1830-1867
木造平屋建、瓦葺、建築面積30㎡
本殿の正面、神楽殿後方に繋がる社殿。梁間は神楽殿と同寸で、桁行は3間。屋根は桟瓦葺で、中央2間は北面が切妻造、南面が両下造、両側面半間を下屋とする。正・背面開放で、側面には窓を開ける。内部は畳敷の1室で、天井は化粧屋根裏とする。
宮本伊織および田原正久寄進の灯籠
末社、白竜稲荷神社、月読神社
国登文 末社熊野神社本殿 - 江戸末期建築
木造平屋建、鉄板葺、建築面積0.32㎡
本殿の北に南面して建つ小祠。正面0.44m規模の1間社。切妻造鉄板葺であるが、流造の前流を切り縮めたとみられる。身舎は正・側面1間とし、身舎背面柱から向拝柱に直接、虹梁を架ける。組物を平三斗、妻を大瓶束とする。丁寧なつくりになる小祠。
末社日本媛神社、大池稲荷神社、日吉神社、泊稲荷神社
国登文 末社住吉神社本殿 - 明治期建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積0.24㎡
本殿の西南に東面して建つ。正面0.45m奥行0.55m規模の1間社流見世棚造。土台上に身舎柱と向拝柱を建て、身舎は正面を両開戸、側・背面を板壁とし、身舎と向拝間を2段の棚状に造る。向拝は三斗組とし、身舎は大斗肘木とする。
国登文 末社種子神社本殿 - 明治期建築
木造平屋建、銅板葺、建築面積0.25㎡
住吉神社本殿の南に東面して建つ。正面0.45m奥行0.55mの1間社流見世棚造で、住吉神社本殿とほぼ同規模、同形式であり、絵様も似ており、一連で建立されたとみられる。本殿の西方から北にかけて、多くの小祠が建ち並び、豊かな境内景観を創り出す。
その他境内、
北西の入り口あたり
参考資料
文化遺産オンラインウェブサイト
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