兵庫県加西市 住吉神社
(Sumiyoshijinja Shrine, Kasai City, Hyogo)
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April 1,2023 大野木康夫 source
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所在地 兵庫県加西市北条町北条1318
【国指定文化財等データベースより引用】
加西市北条町に位置する。養老元年(717)の鎮座と伝える式内社で、本殿は東本殿、中本殿、西本殿の3棟からなり、嘉永2(1849)から5年にかけて建立された。いずれも切妻造妻入の大型本殿で、その形態は住吉大社の住吉造との関連を彷彿させる。正面に装飾豊かな彫刻をつける等、幕末らしい意匠をみせる。本殿の前に長大な拝殿が建ち、文化5年(1808)の建立で、中央部の奥行を大きく造り、屋根を切り上げる独特な形式を持つ。大型の住吉造の本殿が3棟並立する構成は秀逸で、幕末の社殿として良質な境内環境を保つ。
住吉神社は加西市の中心部である北条町の北西部に位置しています。
江戸時代までは酒見大明神などと呼ばれ、隣の酒見寺と一体であったようです。
祭神は住吉三神(底筒男命。中筒男命、表筒男命)と神功皇后で、四月第一土曜・日曜に行われる「北条節句祭」が有名です。
訪問したのは北条節句祭宵宮の日で、多くの人で賑わっていました。
拝殿前の勅使塚
拝殿(重要文化財)
江戸後期文化5(1808)年の建築
中央部 桁行三間、梁間四間、切妻造、本瓦葺、正面向拝一間向唐破風造、銅板葺
両側部 各桁行四間、梁間三間、両端部入母屋造、本瓦葺
部分撮影
幣殿
本殿は大規模な切妻造妻入の3棟で、住吉造を彷彿とさせますが、前二間分が縁や階となって開放空間になっているなど細部が異なっています。
正面は幣殿で見渡しがきかないので、3棟を写そうとすると西本殿背後の末社の前から撮影するしかありません。
この日は祭礼なので東西本殿の前が開放されていました。
中本殿(重要文化財)
江戸末期嘉永4(1851)年の建築
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
幣殿の背後なのでよく見えません。
東側からだと仕切があるので西側から見た方がまだ見える部分が多いです
底筒男命と神功皇后を祀っています。
東本殿(重要文化財)
江戸末期嘉永4(1851)年の建築
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
中筒男命を祀っています。
西本殿(重要文化財)
江戸末期嘉永4(1851)年の建築
桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、銅板葺
表筒男命を祀っています。
March 11, 2023 野崎順次 source movie
兵庫県加西市北条町北条1318
住吉神社
現地説明板と石鳥居、手水舎(県文)
国重文 住吉神社拝殿および東・中・西本殿 4棟 附・棟札2枚、厨子1基
住吉神社は、加西市の中心部に近い北条町の北西、酒見寺に隣接して立地する。当社は養老元年(717)の鎮座と伝わり、江戸時代においては酒見寺と一体となって運営されていたと
みられる。
現在の社殿は、本殿三棟が嘉永2年(1849)から同5年(1852)、拝殿が文化5年(1808)の造営である。境内の北側に拝殿、幣殿、本殿三棟を配し、幣殿・拝殿を木造玉垣、石造玉垣
で二重に囲む。本殿三棟は東から東本殿、中本殿、西本殿と並び、そのうち中本殿が幣殿に
接続する。本殿三棟は同形同大で、桁行四間、梁間正面一間背面二間、切妻造、妻入、銅板 葺とする。
拝殿は屋根が一段高い中央部と両側部からなる大規模な建物で、中央部背面が幣殿に接続する。
住吉神社の本殿は、住吉造に類似した大規模な建物であり、かつ同形同大の本殿を横に三棟並べるという全国的に見ても珍しい配置である。この配置は文献等により、中世後期に遡る可能性がある。各本殿は江戸後期らしい華やかな彫刻が随所に用いられ、質が高い。
これらの社殿は、当社の近世以前の境内の状況を伝えるとともに、住吉造が独特な発展を 遂げたものとして貴重であることが評価された。
(兵庫県教育委員会文化財課
2022/19/12)
東から見た全景、左から拝殿、幣殿、本殿
拝殿正面
向かって左側
向かって右側、さざれ石
拝殿中央部と内部
東本殿正面
西本殿正面
本殿、幣殿を西から
本殿、幣殿を東から
北側から見た本殿三殿
末社いくつか
県文 白髭神社 嘉永四年(1851)再建
神輿庫、4月の春季例大祭(方丈節句祭り)に備えて準備が始まったようだ。
その他
Aug.2011 野崎順次
兵庫県加西市北条町北条1318
撮影日: 2011年8月20日
主祭神 酒見神・底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
黒駒村で創建され、養老元年(717年)に現在地に遷し奉られた。大阪の住吉大社らに伝わる「住吉大社神代記」〔天平3年(731年)〕に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。 古くは酒見大明神と呼ばれており、明治時代に県社に列格された際に現在の神社名に改められた。
社殿は平治の乱〔平治元年(1159年)〕や天正年間(1573年 - 1592年)の兵火など幾度もの焼失と再建を経て荒廃していたところ、江戸時代初期に姫路城主の池田輝政により復興された。 現在の本社三殿は嘉永4年(1851年)に再建されたものである。 境内中央には勅使塚が遺されており、現在は「鶏合わせ」や「龍王舞」など神事の場として使われる。
本社三殿(切妻造妻入)、幣殿、拝殿、玉垣が国の登録有形文化財に指定されている。
中央から鳥居をくぐり、勅使塚の向こうに拝殿を見る。
東に隣接する酒見寺から石橋を渡って近づく。東本殿が見える。
西側から西本殿を見る。
北側に回り込んで本社三殿を見る。
摂社など
参考資料
ウィキペディア「住吉神社」
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