兵庫県川西市 満願寺
(Manganji Temple, Kawanishi City, Hyogo)
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川西市満願寺町7-1 満願寺九重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 正応6(1293) 石造九重塔(竜車及び宝珠を除く) 正応六年三月日の刻銘がある 法華塔移建碑1基 19530829
December 7、2019 野崎順次 source movie (境内) (庭園)
兵庫県川西市満願寺町7-1
高野山真言宗
神秀山 満願寺
パンフレットと現地説明板
山門
県文 木造金剛力士立像二躯 鎌倉末期
明治初年多田院(現多田神社)より移された。
参道を進み、本坊の中に入る。
市文 書院庭園 江戸末期 池泉鑑賞式
さて今本庭を一覧すると、本庭は同寺書院の北西庭となっていて、面積は約百十七坪ほどあり、西部は土塀で囲い、北部から東部にかけては山畔が利用され、さらにほかの諸建築がある。
西部には池庭があって、その様式は江戸末期の作庭を語っていて、円覚院が寛政十年に建立されているから、その直後の作庭とみてよい。池庭は鑑賞式のもので、前方の中央よりやや向かって左部が大きく出島となり、これは江戸中期からの伝統である。北部に多少の護岸石組が見られるが、大したことはない。
さらに書院西部には飛石があり、北部からも飛石が打たれ、北西部山畔にかけて多数の飛石によって庭内が回れるが、北部にはまた小池があって、この付近にはかなり多くの石組があって、ややこの時代としては豪健な手法を見せている。そして山畔には多くのサツキの類の刈込があり、どことなく末期的な軽快な庭となっているが、それが末期の様相を語る資料でもある。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」満願寺庭園より)
石段を上り、不動明王と地蔵尊、鐘楼
満願寺蕎麦
観音堂
金堂
毘沙門堂
市文 木造毘沙門天立像
石仏群、稲荷社、自然林
国重文 石造九重塔付法華塔移建碑 鎌倉 正応六年(1293)
弘法大師像、源家七塔
市文 五輪塔群(三廟) 室町末期から江戸
藤原仲光、美女丸、幸寿丸の墓と伝えられる。
Oct.2011 野崎順次
兵庫県川西市満願寺町7-1
高野山真言宗
神秀山 満願寺
撮影日: 2011年10月15日
本尊は千手観音菩薩。寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建したという。平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えた。
仁王門は明治14年(1881)に建てられた明治初期の洋風を取り入れた建築様式で一見中国風に見える珍しい建築である。
県文 金剛力士像 鎌倉末期
阿吽の両像とも頭体を通して一材から木取りされている。もと多田院の山門に安置されていたが、明治初期の神仏分離の際に多田三山の一院である満願寺に移された。
参道を進み、石段を上がる。説明板、釣鐘堂など。
重文 石造九重塔 鎌倉後期 正応6年(1293年)造立、
花崗岩、高さ330cm
市指定史跡 源家の七塔(源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔)
市指定史跡 三廟(美女丸・幸寿丸・藤原仲光の墓) 室町初期〜後期
金堂 江戸前期 慶安年間(1648〜1651)の再建
金堂には室町時代末期の代表的な宮殿(くうでん)がある。1559(永禄2)年のほぼ完全な禅宗様の建築で木造一間の厨子は、柱上下の礎盤を履き、柱の上下に粽(ちまき)をつけ頭貫(かしらぬき)と台輪を廻し組物を組んで扇垂木を配し、屋根には丸木の瓦を置き、木製の鬼瓦がつくなど丁寧な造りである。
毘沙門堂
自然林と坂田金時の墓
境内に戻る。
観音堂と渡り廊下
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市指定史跡 本坊(旧円覚院)書院庭園 江戸中期
山畔を利用した池泉鑑賞式庭園で江戸時代初期様の景観を留めている。現在の円覚院が寛政10年(1798年)に再興されていることから庭園も同時代の築造と考えられている。
帰途、満開のピンクの秋明菊、JR川西駅前の源満仲公像。
参考文献
満願寺HP
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