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兵庫県神戸市北区 無動寺

(Mudoji Temple, Kobe City, Hyogo)

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神戸市北区山田町福地101無動寺内 若王子神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 応永15(1408) 三間社流造、板葺 19140417


April 22,2023  大野木康夫 source movie

所在地 兵庫県神戸市北区山田町福地100

参道

     

本堂

  

庫裏

    

鎮守社へ

   

若王子神社本殿(重要文化財)
応永15(1408)年の建築
三間社流造、板葺
【神戸市ホームページから引用】
無動寺の境内の西側、一段高い所に鎮座する神社です。
明治初年までは無動寺の鎮守社で、若王子権現と呼ばれていましたが、神仏分離令によって、無動寺から分離しました。
社殿は、永仁5年(1297)橘長綱の建立によるもので、応永5年(1408)に橘光綱が新たに建築したと考えられます。
三間社流造の小さな社殿ですが、屋根には竪板葺を残し、手挾の彫刻も精巧です。
覆屋内にあることから、保存状態も良く、当時の特徴をよく伝え、室町前期の建築技法を知る上で貴重な社殿です。
福地は、無動寺を中心に神仏習合の姿をよく残し、若王子神社の宮守の交代に関わる行事は、六條八幡神社と無動寺の双方で執り行います。

覆屋の中ですが大きな社殿です。

                               


Nov.12,2011 野崎順次 source movie

兵庫県神戸市北区山田町福地100

高野山真言宗

若王山(にゃくおうざん)無動寺(むどうじ)

推古天皇の時代、聖徳太子が物部氏を征伐されるとき、戦勝祈願のために大日如来と諸尊像を造立せられたのが縁起という。その後幾度か盛衰の変遷があるが、多くを知ることはできない。 縁起(慈雲尊者真筆)によれば、現在の堂宇は中興開山眞源阿闍梨が帰省の折、当寺の荒廃を見て、復興の悲願を発願され、二十数年の勧進努力の結果、宝暦二年(一七五ニ)三月、再建されたものである。明治八年廃仏毀釈により、末寺と統合して現在に至る。迫力のある諸仏像と鎮守社若王子神社本殿で名高い。

重要文化財仏像

大日如来坐像 平安中期(高さ2.8mのヒノキの一本作り)、

釈迦如来坐像 平安中期

阿弥陀如来坐像 平安中期

不動明王坐像 平安後期

十一面観音立像 平安中期

パンフレット

   

神戸電鉄箕谷駅から市バスで福地下車、北へ歩く。

                   

無動寺の参道

                

本堂

この日は写経奉納法要ですずらん歌舞伎も見られた。

                            

庫裡

       

重文 若王子神社本殿 室町前期応永5年(1408)

無動寺の鎮守社である。三間社流造の小さな社殿で、屋根には竪板葺を残し、手挾の彫刻も精巧である。覆屋内にあることから、保存状態も良く、当時の特徴をよく伝え、室町前期の建築技法を知る上で貴重な社殿である。

                                   

帰途、目の前を小振りのヘビが横切った。

          

参考資料

無動寺HP

神戸市HP

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