兵庫県神戸市灘区 西求女塚古墳
(Nishimotomezuka Burial Mound, Nada-ku, Kobe City, Hyogo Pref.)
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August 16, 2017 野崎順次 source movie
兵庫県神戸市灘区都通3-1
国史跡
従来は前方後円墳と考えられてきたが、1985年(昭和60年)以降継続的におこなわれている発掘調査の結果、古墳時代前期では最大級の前方後方墳であったことがわかり、墳丘に葺石をともなっていることが判明した。
後方部の頂上に設けられた埋葬施設は、1596年(慶長元年)の慶長伏見地震の際の断層が直下を走ったため崩壊していたが、うちのりで長さ約5メートル、幅約85センチメートルの竪穴式石室(副室付竪穴式石槨)であることが判明し、割竹形木棺を納めていることが明らかとなった(第5次調査)。出土品等から築造年代は3世紀後半と推定されている。
石室の石材は、地元のものだけでなく、阿波(徳島県)や紀伊(和歌山県)などからも運ばれており、地元の土器は出土しておらず、祭祀に用いられた土師器には山陰系の特徴をもつものが出土していることから、山陰や四国・南近畿などの諸地域と深い交流をもっていたことが推察され、瀬戸内海や大阪湾など水上交通に影響をもつ首長の墳墓であったとも考えられる。
1992年(平成4年)から1993年にかけての第5次調査では、邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から贈られた鏡ともいわれる三角縁神獣鏡7面など計11面の銅鏡(第1次調査の1面とあわせて合計12面)が出土したことで注目を浴びた。主室からは、これら銅鏡と碧玉製紡錘車状石製品を、副室からは、剣、刀、鏃、斧、漁具などの鉄製品が納められていた。
三角縁神獣鏡のうち2面は布にくるまれた状態で出土した。また、京都府の椿井大塚山古墳、福岡県の石塚山古墳、奈良県の佐味田宝塚古墳、広島県の中小田1号墳などの出土鏡とは同笵の関係にある。
(ウィキペディア「西求女塚古墳」より)
現地説明板など
西の後方部から後方部頂上に上る。かつては前方後円墳と考えられていたので、後方部は丸く整備されている。
前方部へ
東北の公園入口あたり
墳丘の北側を後方部に戻る。
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