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兵庫県神戸市 灘区 沢の鶴資料館

Kobe Nadaku Sawanotsuru museum

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Apr.2010 撮影:中山辰夫

灘区大石南町5丁目1−2

「昔の酒蔵」沢の鶴資料館は、酒造りの歴史を現代に伝えるために、古い酒蔵をそのまま資料館として昭和53年(1978)に公開。

昭和55年(1980)には酒造り道具と共に兵庫県「重要有形民俗文化財」の指定を受けた。

平成7年(1995)の阪神・淡路大震災によりいったんは全壊致しましたが、3年7ヶ月の歳月をかけ

平成11年(1999)に復興再建。自然の恵みと先人達の知恵に培われた灘酒の伝統を今に伝えている。

日本で初めて、株式会社大林組の技術である木造免震構造を採用した。

槽場(ふなば)跡

全国でも珍しい地下構造である。醪(もろみ)から液体の酒をしぼり、大きな垂壷(たれつぼ)でうける作業をしやすくするために、地下構造にしたとされる。

洗米・浄米・醪仕込みコーナー

直径2mを越える大樽やこしきの道具が並ぶ。

上槽コーナー 狐桶(きつねおけ) 渋袋

樽廻船

地に利を活かしした海上輸送で、灘酒を江戸へ運び、灘酒隆昌の一因となった。

麹づくり

「室」を再現した。その構造と道具がみられる。

酒樽づくり

ミュージアムショップ

灘五郷

日本酒の生産地として有名。神戸市内の西郷、御影郷、魚崎郷が散策コースである。

西郷は都賀川沿いに、御影郷は石屋川界隈を、魚崎郷は住吉川沿いを歩くといい。

細い路地に酒蔵の板壁が続く町並みには昔ながらの情緒が溢れている。

灘と酒にからむ話は古代に遡る。

新羅からの使者が入朝する際、敏馬の浦(みぬめ)(灘区)において、生田神社で醸造した酒をふるまってもてなしたと伝えられている。

生田神社では、境内に大山咋命(おおやまいくのみこと)を祭神とする松尾神社を末社として祀っており、かたわらには灘五郷発祥の地の石碑が立っている。

灘五郷は、西摂の海岸部に点在する酒造業地の宗匠で、ある。

「西摂大観」(1911年刊)には、「東武庫川より西生田川に至るおよそ六里ばかりの海村を灘五郷の地とする」と記されている。

現在、灘五郷という場合、西はから西郷、御影郷、魚崎郷、西宮市内の西に身や郷、今津郷をさす。これは明治19年(1886)に、摂津灘酒造組合が結成されてからである。

江戸時代における灘五郷は、今津郷・上記神戸市内の3地域(上灘郷と総称)・下灘郷と称した現在の中央区南部をさし、現在のものとは地域を異にする。

灘での酒造りは江戸前期の寛永年間(1624〜44)に始まったとされる。

本格的にはっ酒造制限令が撤廃された宝暦4年(1754)以降からである。

天保年間(1830〜44)、西宮で醸造に適した宮水(みやみず)が発見されたこともあって、幕末には、江戸の6割を占めた。

山田錦をはじめとした酒米(さかまい)、宮水、六甲の急流を利用した水車精米、六甲おろしの冷気、丹波杜氏(とうじ)の技と勘、海上輸送に適した立地、といった自然・立地条件をうまく利用したことが隆昌の要因であった。

阪神・淡路大震災で多くの酒蔵が破壊された。

各酒造会社は、酒蔵の意匠を建物に取り入れることで酒蔵の続く町並みを再現しようと努力がなされている。

参考資料《パンフレット、兵庫県の歴史散歩、その他》

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