兵庫県神戸市須磨区 神戸市立須磨離宮公園
(Kobe Municipal Suma Rikyu Park, Suma-ku, Kobe City, Hyogo Pref.)
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August 28, 2022 野崎順次 source movie
(Kobe Municipal Suma Rikyu Park, Suma-ku, Kobe
City, Hyogo Pref.)
須磨離宮公園は、本園と植物園があるが、それぞれ、皇室の別荘「武庫離宮」、旧岡崎邸の跡地である。
パンフレット
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植物園(旧岡崎邸跡) 須磨区水野町6
現在、須磨離宮公園の植物園となっている所は、明治後半から昭和初期にかけて、関西実業家の重鎮として君臨した岡崎財閥の旧岡崎邸の跡地で、昭和四八年に神戸が用地地買収し、同五四年に植物園として開園された。
現在の観賞温室の位置に邸宅洋館が建ち、その西側に和室(現存)が建つという地割で、庭園は、和室前と傾斜面を中心に作庭されている。洋館は、設楽貞雄の設計による大正七年(1918)の竣工で、庭園もその頃に造営された。現在和室と庭園が往時の姿を留めている。
岡崎財閥は、明治二七年(1894)の汽船事業からはじまり、その後、保険業、金融業へと拡大して財閥を形成する。小説『華麗なる一族』のモデルとも言われ、岡崎財閥の基礎を築いたのは岡崎藤吉で、元土佐藩士の岡崎真鶴の婿養子となり、実業家として「神戸の岡崎」といわれたほどの大実業家に成長する。
(西桂著・三谷景一郎画「ひょうごの庭園」2018.04.18. 神戸新聞総合出版センターより)
東門(植物園入り口)
バタフライガーデンと室谷邸モニュメント。ヴォーリズ設計の旧室谷藤七郎邸が近くにあったが、取り壊され、その泉水吐出部がモニュメントとして残されている。
馬車道を行く。右手の茂みと小川がすがすがしい。
旧岡崎邸庭園 大正時代 池泉鑑賞式庭園
当初の正門は、現在の東門①周辺で、個人邸宅にもかかわらず、警官が駐在した小屋もあった。岡崎忠雄は、植物に関する造詣も深く、岡崎家と親戚関係にあった西本願寺大谷家所有の二葉荘で温室管理をしていた園丁が岡崎家に招かれ、岡崎家の園地管理をするようにもなったという。神戸市に売却された後も須磨離宮公園の植物園となる土台ともなっている。
旧岡崎邸庭園は、正門から邸宅につづく馬車道②を中心に、傾斜を利用して斜面に地泉や流れを配置し表門内にある池泉③に注がなっている。和室前には広場④があり、ここで園遊会などが開かれていたと思われる。和室前は枯山水の枯流れ⑤があり、和室南側傾斜面の庭園へと続く。ここに井泉石組⑥があり、暗渠でここに導水していたと思われる。この井泉石組からの湧水で流れを構成し、三段落の滝石組⑦へと流れ、池泉⑧に注がれるという構成である。この池泉は、護岸石組や滝石組も優れ、馬車道を通りながら観賞できる。馬車道には石橋⑨や傾斜面に組まれた石組などを観賞しながら邸宅へと進むという仕掛けになっている。
建築の多くは無くなってはいるが、庭園に往時の姿を残しており、須磨地方の高級邸宅の様相が見られる事例として、この時代この地域の庭園を知る上においても貴重である。
(西桂著・三谷景一郎画「ひょうごの庭園」2018.04.18. 神戸新聞総合出版センターより)
略平面図と俯瞰図
馬車道沿いの石組と石橋
池泉の護岸石組と滝石組
馬車道沿いの石組
和室前と南斜面の枯山水庭園
鑑賞温室(臨時休館中)、花の庭園あたり
本園(旧武庫離宮跡) 須磨区東須磨1-1
通路橋を渡って本園に入る。まずはジャンボすべり台、トンネルを過ぎて第13回現代日本彫刻展神戸須磨離宮公園賞作品。
須磨離宮公園の前身は皇室の別荘「武庫離宮」で、天皇陛下のご宿泊を主目的に大正3年(1914年)に造営され、昭和20年(1945年)の神戸空襲で御殿などの主要建物が焼失するまでの約30年間、大正天皇や貞明皇后、昭和天皇(当時皇太子)、「ラストエンペラー」として知られる溥儀皇帝(当時満州国皇帝)がご利用されました。離宮の造営には国宝の迎賓館赤坂離宮(旧:東宮御所)などの建築を手がけた片山東熊や新宿御苑の庭園設計を行った福羽逸人など当時最高レベルの技術者らが携わっており、宮内省(現:宮内庁)が西本願寺の門主・大谷光瑞の月見山別邸と隣接する土地を買収して大規模に造成が行われた国家事業でした。
戦後、進駐軍の射撃訓練場に接収されたのち、昭和31年(1956年)に神戸市に返還されました。昭和33年(1958年)に当時皇太子であった上皇陛下のご成婚記念事業として整備がはじまり、昭和42年(1967年)に正式開園しました。
(神戸市立須磨離宮公園公式ウェブサイトより)
本園の中心部、噴水広場、その向こうにポセイドン広場とレストラン
鞍馬産自然石燈籠
傘亭(傘形四阿舎 - かさがたあずまや-)
傘亭は、大正3年に造営された武庫離宮内に建てられた、一本柱・六角形屋根の四阿舎で、青銅製擬木の柱や竹穂葺屋根という全国的にも珍しい特徴を持った四阿舎です。いったん焼失後、復元された。
中門と中門広場、くすの木(市民の木)
露台と潮見台(当初のまま)、武庫離宮庭園設計者・福羽逸人は西洋の宮廷庭園技術を積極的に取り入れた。
装石(ロカイユ)という壮大な人工石組
正門、門扉は新しいが左右の門柱や亀甲形の石積みが残る。
月見山駅と離宮正門を結ぶバラの小径
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