兵庫県三木市 三木城跡
(Ruins of Miki Castle, Miki City, Hyogo Pref.)
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March 4, 2018 野崎順次 source movie
兵庫県三木市上の丸町
国史跡
当時の遺構はほとんどない
城跡は美嚢川の南岸の台地にあり、明石の北約19km、姫路の東約31kmの地にあり、それほど肥沃の土地ではなかったが、京都-有馬は古くから整備された交通の要所(湯山街道)に築城された。
天正6年(1578年)から2年(20ヵ月)に渡って、織田方の羽柴秀吉と別所長治との間で兵糧攻め、三木合戦(三木の干殺し)を含めて、激しい攻城戦が繰り広げられたことで知られている。この三木合戦の際には神吉城(印南郡)、志方城(印南郡)、淡河城(美嚢郡)、高砂城(加古郡)、端谷城(明石郡)など東播磨各地の城が支城として別所方に従った。
本来の城郭は現在の三木市街地部分も含むものであったが、本丸周辺だけが上の丸公園として残っている。公園内には長治の辞世「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑や、城外への抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」、そして近年立てられた長治の像がある。公園に隣接してみき歴史資料館(旧三木市立図書館)、城郭跡の下には滑原(なめら)商店街がある。
毎年5月5日には長冶を偲び、「別所公春まつり」が開催されている。
(ウィキペディア「三木城」より)
現地説明板とパンフレット
北から本丸跡に上る。
上の丸公園に入る。
石仏、石碑、忠魂碑
かんかん井戸あたり
本丸跡、別所長治辞世歌碑、石像
奇石の多い神社(稲荷社と水天宮)
水門口跡から西に下ると、本町滑原遺跡出土石列遺構(家臣屋敷などの町割遺構か)
ナメラ商店街と振り返って見上げる本丸跡
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