兵庫県西宮市 西宮砲台
(Nishinomiya Battery, Nishinomiya, Hyogo)
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国指定史跡 |
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阪神間に僅かに残る自然の砂浜 |
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御前浜 |
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勝海舟の建策による対黒船防衛施設 |
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Nov.2010 撮影/文 野崎順次
兵庫県西宮市西波止町西波止5374の1ほか
国指定史跡
撮影日: 2010年11月7日
御前浜に今も残る西宮砲台は、国の指定する史跡で、この浜のシンボル的存在である。
江戸時代の終わり頃(1863年)、開国をせまる外国船に備えるため、江戸幕府は勝海舟の建策をいれて大阪湾沿岸に砲台を築いた。
西宮と今津、和田岬と川崎の4か所であった。和田岬砲台が稜堡式であるのに対して、他の3砲台は円形である。
空砲を試射したところ、砲煙が堡内に立ちこめ、実用に向かなかったという。
幸い使用することなく明治維新を迎えた。
その後、明治17年(1884)火災のため内部の木造構架を焼失したが、石槨部分はなおよく築造当時の面影をとどめ幕末の世相を偲ぶことができる。
昭和9年の室戸台風による被害のあと屋根の復元工事を行い、また昭和49年から50年にかけて鉄骨による石槨の補強工事を行い、同時に外装を整えた。
アプローチ。
阪神間の海岸線は埋め立て地や人工島が多く、複雑である。
幸い、西宮大橋の上に上がって西を見渡すとすぐ近くに御前浜公園と砲台の上部が見えた。
橋の真下ではワイヤを利用した水上スキーを楽しんでいた。
橋を渡り、小さな橋を渡り返して西宮砲台のある御前浜についた。
国指定史跡 西宮砲台
文久3年(1863)着工、完成をみたのは慶応2年(1866)下半期であった。
土堤でかこった中央部に、松クイを1000本以上も打ち込んで基礎とし、花崗岩の巨石を組み上げた。
石造三層の円堡で、内径約17.00m、高さ約12.00m、壁厚1.21m(1階底部1.53m)。
外部は厚さ9cmで油石灰5遍塗、上塗薄墨色塗。1階床叩土、中央に井戸を掘り、一部を弾薬庫(床板敷)に当て、2階木造、側面に砲眼11個と窓1個を開き、大砲2門をすえて、筒口を四方に向ける装備であった。
南面、東面、北面と見ていく。
背後の防波堤を越えると住宅の横に表示の石柱があった。長大な防波堤が住宅地と浜を仕切っている。
浜に戻り、北西面から南西面。
御前浜では若者たちや家族連れがバーベキューをしていた。ここは昭和30年(1925年)頃までは香櫨園海水浴場があり、泳ぎに来た記憶がある。
夙川の河口
夙川河口西側、海に面して西宮回生病院があり、アーチ型玄関は昭和初期に建造された歴史的建造物である。
野坂昭如原作のアニメ映画「火垂るの墓」でもこの玄関がそのままで出てくる。但し、阪神大震災の被害を受け、復旧工事で上部が少し変わったが。
参考資料
御前浜・香櫨園浜案内板 (現地)
西宮砲台跡案内板 (現地)
西宮市HP
西宮回生病院HP
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