兵庫県小野市 広渡廃寺跡
(Kodo Abandoned Temple Ruins, Ono City, Hyogo Pref.)
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March 15, 2025 野崎順次 source
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兵庫県小野市広渡町
国史跡
加古川中流の左岸段丘上に位置する古代寺院跡である。昭和48年から50年と平成5年から9年にかけて発掘調査が実施され、主要伽藍の配置と寺域規模が明らかとなっている。伽藍の配置は、金堂と中門の間に東西両塔を配し、金堂の背後に講堂をおき、これらを回廊で取り囲むという薬師寺式伽藍配置であり、寺域は、現地形から判断して、東西約100メートル、南北約150メートルの規模であったと推測されている。この寺の創建年代は、出土遺物等から奈良時代中頃、また、廃絶年代は平安時代後期頃と考えられている。なお、『浄土寺縁起』には、荒廃したままとなっていた広渡寺の本尊を浄土寺薬師堂の本尊として移して安置したと記されており、浄土寺との関連が注目される。
(小野市公式ウェブサイト)
グーグル航空写真と現地説明板
寺の建物は、重い瓦を屋根にのせるため、柱が沈まないように土をつき固め、基壇という基礎をつくります。その上に礎石(そせき)という大きな石を置いて、柱を立てました。この基壇の外側には、平たい川原石を積んで化粧がなされています。
(市立好古館ウェブサイト)
南大門跡から中門跡、西の回廊跡、北の回廊跡、北門跡
金堂跡
東西長約15m、南北長12.5m、高さ1.2mの長方形状の基壇の上に、本尊(ほんぞん)をまつるお堂が建っていました。基壇の外側は、平たい川原石で化粧の石積みがおこなわれています。平安時代終わりには、基壇が西側へ3m拡張されて、一辺15mの方形の基壇となり、拡張部のみ瓦積みの化粧となっています。
(市立好古館ウェブサイト)
東塔跡
西塔跡と心礎(市文)
西塔跡から南から北へ廃寺跡を見る。
伽藍復元模型
屋外に展示されている伽藍全体の復元模型です。この模型は小野市が「国指定広渡廃寺跡歴史公園」の整備に合わせて、同公園内に設置したもの。縮尺が20分の1と大きく、細部まで丁寧に造り込まれていること、発掘の成果に基づき伽藍全体の配置が正確に復元されていることといった点で、あまり類例をみないものです。この模型はなんとジュラルミンとセラミック製
(日出ヅル處ノ廃寺 – 古代寺院跡を訪ねてサイト)
広渡廃寺ガイダンスホール建物外観
室内展示
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