兵庫県三田市 酒滴神社
(Sakatarejinja Shrine, Sanda City, Hyogo Pref.)
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April 29, 2024 野崎順次 source movie
兵庫県三田市藍本1057
創建は貞観年間(859~877年)、全国的に疫病が蔓延していた際、素戔鳴尊の化身と思われる1人の童子が現れ、この山の中腹から湧き出る霊酒の存在を知らせました。村人達は早速山に入り霊酒を飲んでみると忽ち病が治った為、祠を設けて長く祀ったと伝えられています。長暦2年(1038)に再び疫病が流行ると、後朱雀天皇の霊夢に素戔鳴尊の化身と思われる仙人が立ちこの霊酒で病が治ると告げました。今回も霊酒によって多くの人々の命が救われた事を感謝した後朱雀天皇は「酒滴神社」の勅額を与え、社領も寄進し庇護しました。その後も歴代領主や為政者が庇護し、応永年間(1394~1427年)には室町幕府4代将軍足利義持が病気平癒の為、酒滴を舐めて祈願すると忽ち平癒した事から社領の寄進と社宝が奉納され、後小松天皇も石の華表を建立、江戸時代に入ると三田藩主九鬼家が庇護しています。現在の本殿は享保12年(1727)に三田藩6代藩主九鬼隆抵が再建したもので、三間社流造、銅板葺、正面千鳥破風、正面1間軒唐破風向拝付、江戸時代中期の本殿建築の遺構として貴重な事から三田市指定文化財に指定されています。石鳥居は応永2年(1395)に丸部貞国によって寄進されたもので流紋岩製、高さ500cm、製作年が明確のものとしては兵庫県最古の石鳥居として兵庫県指定文化財。髄神門(神社山門:入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、左右に随神像が安置)に掲げられている算額(杉板2枚・2題)は文化8年(1811)に下垣内市左衛門正矩が奉納したもので、兵庫県最古の算額として三田市指定文化財にそれぞれ指定されています。祭神:素戔嗚命。配祀神:八幡大神。
(兵庫県・歴史・観光・見所ウェブサイト)
現地説明板とパンフレット
JR藍本駅から丹波街道を南に少し
下から見た酒滴神社、この石造鳥居は県重文指定ではない。それと狛犬と随神門
市文 奉納算法額(復元)
随神と随神門遠景
本殿と石垣
市文 本殿 江戸時代
享保十二年(1727)十二月の棟札によれば、時の三田藩主九鬼隆衹の祈願により藩士井坂外2名が建築奉行となって、摂津大坂の棟梁鳥居藤兵衛清正の手によって完成した。この時藤兵衛は小工1人と弟子を6人連れて建築にあたった。またこの造営には本庄・曲り・波田・岩倉・日出坂の庄屋が関与している。
本殿の規模は市内では大きい方に入る。総欅造の豪華さと、柿茸流れづくりの屋根に千鳥破風をのせた上部に特色がみられる。その上、各所の装飾文様と彫刻にすぐれた技法のあとが随所にあり、近世中期の神社建築の粋を見ることができる。
三田市では中世以降播州日原大工の建築の多い中で、大坂四天王寺大工の鳥居派のものは、ここと大原大歳神社の2社である。後者の本殿は永禄3年(1560)の再建で貞享四年鳥居仁兵衛によって修復され、現在県重文に指定されている。
(三田市ウェブサイト)
摂社、神木、その他境内
県重文指定の石鳥居はJR線を越えた参道入り口にある。そちらへ行きつつ振り返って神社を遠望する。
県重文 石造鳥居 室町時代
明神鳥居形で両柱の形は八字転びとなっている。向かって右柱は中程で継ぐ。脚に基礎盤の亀腹、円柱上部は貫・島木・そり増をみせる笠木がのる。貫の下面に「元禄二歳(1689)己巳三月上旬、貫中興」の陰刻があるところから、折損したものを今のものととりかえたことがわかった。また島木にも「応永二歳(1395)乙亥三月、願主丸部貞国」との銘文があり、造立の時期および寄進者がわかる。
全体を見ると、柱間の割合にくらべて高さが低く、八字形と相まってどっしりと落ち着いた感じである。これより30年後の応永32年に立てられた石鳥居が波豆八幡神社(宝塚市波豆)にあって、石材同質、構えや手法も似ているところから波豆の石工によって制作されたものと思われる。県下で最も古い在銘石造鳥居である。
(三田市ウェブサイト)
線路の反対側(東)から藍本駅に戻る。
帰りの車窓から見た石造鳥居
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